在宅勤務
【1月15日特記】 今日は妻が風邪をこじらせ肺炎になり、あわや入院という事態になったので会社を休んだ(結局入院は免れ、薬が効いて次第に症状も治まってきた)。
それで家で少し会社のデスクワークをこなした。
労働組合的観点からすれば、「何をサービス残業しているのか」となるところだが、悲しいかな残業の付かない管理職であるし、少し持ち帰ってやっておかないと、明日以降がしんどくなるのである。
思えば非常に便利な世の中になった。
昔は「今日少しでもやっておかないと、明日からしんどくなる」と思うとどうしたか?──今日が休日であれ有給休暇を取っているのであれ、ともかく出社した。それしか方法がなかったのである。
今は出社せずともメールがある、ネットがある、クラウドがある。メールも便利になった。昔は会社のメールを家で読み書きするなんて容易にできなかったのが、今や困難なくできる。
昔、会社に初めてメールというものが導入された時に、「言いたいことがあるのなら面と向かって言いに来い。電子メールなんか送ってきても俺は絶対読まないからな」と言った人がいた。
メールは複数の人に同内容をいっぺんに送れるとか、記録が残るのでもめごとや物忘れを回避することができる、といったメールならではのメリットがあることなんて到底理解できなかったのだろう。
「僕は自分の電子メール・アドレスは誰にも教えない」と言ってる人もいた。これは当時であっても「なんじゃそりゃ?」としか言いようがなかったのだが、彼は大真面目で言っていた。
読んでいると、いちいち「電子」とついているのが気になるかもしれないが、あの頃は単に「メール」と言えば郵便のことで、「アドレス」と言えば住所(所番地)のことだった。
「休みの日に電子メールなんか開いてはダメ。休みの日はちゃんと休まないと体に悪い」と言っている人もいた。こういう人はひょっとしたら今もいるのかもしれないが。
あれからほぼ20年。僕は自宅にいながらメールで社内外の人たちと連絡を取り、ウェブ上の同じコンテンツを見、どこにいてもクラウド上の同じファイルにアクセスできる。そうやって僕の自宅残業はスルスルと進む。
メールを見ることは、仕事上のものであれ個人生活のものであれ、あまりに日常化していて、それを開くことが良いとか悪いとかいう感覚はない。むしろ、休みの間に早く知って、ものごとがうまく転がるのであればありがたい。
こんな社会になって、あの時あんなことやこんなことを言っていた人が、もし今もまだ働いていたら、一体彼らはどう言うのだろうか?
あ、そうか。「自分のアドレスは他人に教えない」と言った奴はいまだに一緒に働いてたっけ(笑)
良い世の中である。
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