『たったひとつの「真実」なんてない』森達也(書評)
【1月11日特記】 この本はとても良い本である。僕はメディア・リテラシーの本は何冊も読んできたが、これほど明快で解りやすく訴えてくる本はない。何が解りやすかというと、世界は複雑であるということである。
僕もこのブログやHPに何度か書いたと思うが、今の世の中、ともかく物事を単純化しようとする風潮がとても強い。「要するにこういうことだろ?」と複雑な要素を切り捨てて切り捨てて、最後に単純な一文にまとめることが理解することだという勘違いがある。
それは裏返すならば、世界が人々の手に負えないほど複雑になったということの証拠なのだ。
でも、本当は、そういう複雑なものを分解して分析し、さらにそれを元の形に再構築した上で、複雑なものを複雑なまま全体像として捉えるのが、知性というものの働きであるはずである。
僕のこの論と同じようなことを、森達也は「複雑」ではなく「多面体」という言葉で表している。「事実はひとつじゃない。世界は無限に多面体だ」(180ページ)
ヤラセと演出のあいだには、とても曖昧で微妙な領域がある。そんなに単純な問題じゃない。でも報道したりドキュメンタリーを撮ったりする側についてひとつだけ言えることは、自分が現場で感じとった真実は、絶対に曲げてはならないということだ。そして同時に、この真実はあくまでも自分の真実なのだと意識することも大切だ。同じ現場にいたとしても、感じることは人によって違う。
つまり胸を張らないこと。負い目を持つこと。(181ページ)
著者はこうやって時々作り手の側にも訴えてくる。しかし、大部分は世間一般の視聴者に働きかけて注意を促したものである。
彼はその視聴者という存在を、自分の対面にいる対象という形で自分の外側に認識するのではなく、自分もその中にいると捉えている。
また、彼が例として犯罪を語るときに、犯人/容疑者の名前は往々にして「森達也」となっている。つまらないことだけれど、そういう遊びの部分も、実は彼の公正さを表していると僕は思うのである。
彼はこの本の第一章を北朝鮮の話から始める。自分が行って実際に感じた北朝鮮を、自分の話として読者に提示し、それが一般に思われているイメージとどれほどかけ離れているかを明らかにする。その上で、何故そんなことになってしまうのかを語り始める。
そして、読者が「なるほど、確かに」と納得しかかったところで、今書いたことは実は森達也の主観的な感想でしかない、というような形で何度か覆してみせる。
そういう説明の仕方が、読者の理解を進め、理解する力を鍛えてくれる。
北朝鮮の後は第二次世界大戦、袴田事件、ジョージ・オーウェルの『1984年』など、扱う題材は非常に多岐に亘っている。
主にテレビの事例を中心に書いているが、著者も言うように、新聞もラジオもソーシャル・ネットワークも本質的には同じである。
そして、著者はこんな風に書いてこの本を終える。
この本はここで終わり。でもこの本に書かれた内容はこれから始まる。でも、始まるかどうかはあなた次第。(後略、195ページ)
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