けじめ嫌い
【12月24日特記】 先日の休みに散髪に行ってきた。いつもの散髪間隔からすると次の週末で良かったのだが、そうすると年末になってしまうので早めたのである。
年末は混むから、というような理由ではない。さっぱりした頭(髪型)で正月を迎える、という発想が嫌なのである。
小学生の時、年末になるとよく母は、「そんなボウボウの頭でお正月迎えられへんから、散髪行っといで」と言った。僕は「何を言っているんだろう、この人は?」と思った。
なぜ正月の前に髪を整えなければならないのか、それが分からないし、納得が行かない。
でも、親の支配下にある小中学生時代には正面切って逆らうこともできなかった。
それで、大学ぐらいになってからは、わざと次のタイミングが年明けになるように、10月くらいから微妙に散髪間隔を調整して、ボウボウの頭で年を越すように心懸けた。
さすがに今では少しは大人になって、わざと年明けに持ってこようとまではしないが、でも、偶然とは言え、年末ギリギリに髪を切るのは嫌なのである。
僕はそういう、意味のない(ま、意味があると仰る御仁もあるのだろうが)けじめが大嫌いである。
年の初めや年度の初めに目標を立てさせられたりするのも大嫌いである。そもそも、目標を立てることも、それを公表することも嫌いだが、何よりもみんな揃って意味のないタイミングで誓い合うみたいなスタイルが嫌なのである。
なぜ、年初や年度初めなのか。よし、やるぞ、と思ったら中途半端な時期であっても、翌日からの目標で良いではないか? なぜ、1年間の目標なのか? 40週間の目標でも456日の目標でも良いではないか?
そう言えば、小学生時代に「お正月はなぜめでたいのだろう?」と随分悩んだ記憶がある。これは、結構悩んだ末に自分で乗り切ったのだった。
すなわち、何がめでたいのか合理的な理由もないのに、みんなが寄ってたかって「めでたい、めでたい」と言い合うなんて、これほどおめでたいことがあるだろうか!と。
そうやって自分を説きつけて今日に至っている。
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