映画『トワイライト ささらさや』
【11月22日特記】 映画『トワイライト ささらさや』を観てきた。
この映画はパスするつもりだったのだが、随分と褒めた文章を読んで観に行く気になった。
最愛の妻と生まれたばかりの息子を残して事故死した売れない落語家が、成仏できないままこの世に残る話。原作の小説があり、結構売れたようだ。
死んだ落語家、本名ユウタロウを大泉洋が、その妻サヤを新垣結衣が演じている。
そのうちにユウタロウは、自分が生きている人間に乗り移れることを発見し、いろんな人に乗り移って、一人ぼっちで戸惑っているサヤを助けにやってくる。
ただし、ユウタロウが乗り移れるのは幽霊になった自分の姿が見える人だけで、しかも同じ人間に2回乗り移ることはできない。
ストーリーを転がして行く上ではよくできた設定である。ユウタロウの職業を落語家にしたのは映画オリジナルらしいが、それは映画化する上ではよく考えた設定である。
如何にも落語家っぽい口調と、「バカだねえ」という口癖によって、他人の肉体を借りていても中身はユウタロウだと喋り方で判るというところに説得力が出て来る。
一方で、映画にする上で、切り落としてしまって、うまく伝わらない部分も出てきてはいる。
たとえば、夫の死後サヤはどうやって生計を立てているのかが映画では全く描かれておらず、僕がそれが気になって仕方がなかった。
ユウタロウの父(石橋凌)の職場が外国であったということも、場面を見て俄に了解できなかったし、海外に行っているのであれば、如何に小さい息子であっても、母親はそのことを教えているはずだろう、という疑問も残った。
久代(波乃久里子)がどういう理由でサヤの叔母の家に住んでいたのかが不思議だし、追い出された後どこに住んでいるのかも分からない、と言うより、そもそもすんなりどこかに移り住めたのかどうかが気になる。
お夏(富司純子)が何故ボケたふりをしているのかは語られないままだし、どっちにしてもあんなにしょっちゅう外で久代や珠子(藤田弓子)と会っていては息子の嫁(山下容莉枝)にもバレバレだろう?
山室有紀子と深川栄洋の共同脚本は、どうも繕い切れないまま終わってしまった部分が多い。
そして、何よりも僕があまり楽しめなかったのは、ユウタロウが次に誰に乗り移るのかが完璧に読めたこと。いや、序盤・中盤は読めたって構わない。新しい人物が登場して、あ、今度はこいつに取り憑くのかな、と分からせる設定である。
ただ、終盤のクライマックスでユウタロウが誰に乗り移るのかが、僕はかなり早い時点で読み切れてしまった。時々こういうことが起こる。こういうことが起こると、あまり楽しめなくなってしまうことがある。
ただ、乗り移られた人間がユウタロウのキャラで語るというのは面白かった。お夏・久代・珠子の三婆が絡むのも面白かった。
ロングの風景は焦点をボカす範囲を広くしてミニチュア風に撮っている。スマホの写真アプリやトイカメラによくある、あの技法である。しかし、どういう意図なのだろう? ファンタジーっぽくしたかったのか?
そう、ファンタジーと言えばまさにファンタジーで、出て来る人物がみんな良い人というのは如何にも食い足りない。僕はもっと過酷な話が好きである。
いや、僕の趣味云々ではなく、深川栄洋監督は、例えば人の死が絡んでくる『神様のカルテ』シリーズのように、ある程度過酷なところを描かせたほうが真価を発揮する監督ではないかと思う。
この映画は結局のところ、赤ちゃんの可愛さで逃げ切った映画、と言えるのではないだろうか(笑)
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