『かもめのジョナサン(完成版)』リチャード・バック(書評)
【10月11日特記】 1970年代にベストセラーになった時には読まなかった。読まなかったが少し気になってはいた。どんな本なのかはよく知らない。知らないからこそ気になっていた。このたび長らく未公開だった第4章が加わって完成版になったというので買ってみた。
結論から先に書くと、残念ながらあまり共感を得られる本ではなかった。それは第4章があろうとなかろうと同じだろう。
僕は単純なものに惹かれない。複雑なものに惹かれる。現に世界は複雑なのである。それをむやみに単純化しようとするのは危ない試みである。そして、単純な何かになぞらえようとするのはもっと危険な試みである。
これは寓話なのか童話なのか? ま、どちらでも良いが、作者は人間の思いを必死にカモメに込めようとしている。
この本を読みながら脳裏に浮かぶのはカモメが大空を羽ばたいている姿ではなく、それを思い浮かべながらどうなぞらえるか呻吟している小説家の姿である。
そんなに告発したいことがあるのなら論文を書けば良いのにと思う。ただ、第4章を書き加えた(と言うよりも、封印していたものを解禁した)ことによって、あまりに薬臭かった作品が少し物語らしくなったのも確かではある。
結局のところ、僕が一番共感を覚えたのは、巻末に付録風に掲載されている訳者・五木寛之による「1974年版あとがき」だった。
およそ翻訳という作業において、原作への共感と尊敬が不可欠であることは、私も知っている。しかし私はただ不満と反撥からこの仕事をはじめたのではなかった。
(中略)
原作者には意図的なものはないにちがいない。しかし潜在的には何かがある。それは小さな問題ではないはずだ。ポピュラーに読まれる物語を馬鹿にすることはやさしい。しかし、私がいちばん嫌いなものも、その<馬鹿にする>という姿勢なのだ。私はこの巨大な読者をかち得た一つの物語を、強い抵抗を抱きながらも全力をあげて考え、そこからさまざまなものを発見したような気がする。
五木寛之がそんな思いでこのベストセラーを訳していたとは全く知らなかった。そして、その堂々たる知的態度に感服した。
僕はこのストーリーから五木寛之ほどの何かを発見することができたのだろうか?
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