クリーニング屋の親父の話
【10月6日特記】 近所によく行くクリーニング屋がある。白洋舎である。以前は奥さんが取り仕切っていたが、急病で亡くなり、それまで店の奥でラジオ聞いたりしてブラブラしている感じだった主人がそのあと真面目にやり始めた。
聞けばウチの社長と同い年らしいのだが、見た目はもっと年取っている。非常にお爺さん然としたお爺さんである。
で、この爺さんが僕の妻のことが好きなのである(笑)
妻は若い頃から「爺殺し」の傾向があって、いろんなお爺さんから妙に慕われるのであるが、このクリーニング屋の爺もそのひとりである。
彼は我が家の電話番号を憶えている(時々忘れて間違うけど)。それから、僕の妻の名前を憶えていて、「Nさん」とか「N姐さん」などと呼ぶ。時々は「お母さん」などとも言うのだが、ウチの夫婦には子供がいないので、妙な感じである。
このクリーニング屋には、丁寧に洗ってほしい、ちょっと上等なものだけ持って行くのだが、僕が一人で行くと必ず、「N姐さんは元気かな?」と訊く。
残念ながら妻のほうは、爺さんの話がやたらとまどろっこしくて、ちょっとクリーニングに出すだけでも随分時間がかかるので、それを面倒臭がって最近はあまり自分で行きたがらない。
それで余計に哀しそうに爺さんは訊く。「N姐さんは元気にしてるんかいな?」と。
話は長く、まどろっこしいのだが、しかし、飄々として面白いのは面白い。
汚れの酷いものや特殊な作業が必要な物は、東京や広島の工場に移して洗浄するらしいのだが、そういうものについて僕が「あれ、まだ?」と訊くと、決まって「あれはな、新幹線に乗って広島に行っとるからな…」などと説明してくれる。
言わば序詞に当たる「新幹線に乗って」が余計なのである。持っていったシャツが鎌倉シャツだと「おう、鎌倉さんやな。この頃鎌倉さん増えてきたで。鎌倉から大阪に出てきはったからな」などと余計なことをペラペラ喋る。喋るから手が止まる。
だからひとりの客にかかる時間がめちゃくちゃ長い。店に着いて先客がいるとうんざりするほど待たされてしまう。
ただ、話は面白い。
6月の末に会ったら、「えらいこっちゃで。もう半年もしたら正月やで」みたいなことを言う。
昨日行ったらひょっとしたら「もう3ヶ月もしたら正月や」と言うかと思ったら、言わなかったが(笑)、その代わり「台風は自分の都合でコースを決めるので読み切れん」と嘆いていた。
昨日は妻のジャケットを持って行った。食事の時にこぼして肉料理のソースがついてシミになっている。
店主にそのことを言うと、「Nさんのやな。肉か。ステーキか?」と訊く。
僕は、「いや、ステーキかどうか知らんけど、肉やと言うてた。肉汁ですわ」と答える。
爺さんは、「ほな、そのまま書いとこ」と言って、伝票に「右前に肉汁のシミ」と書き始めるが、「肉」まで書いたところで固まって動かなくなる。何してるのかなと思ったら、やおら「ゴンベンか?」と言う。
汁がゴンベンなわけないないやろ! 「サンズイヘンに十」と僕が言うと、書きかけた「言」を消さず、その横に「汁」と書く。
爺さんだから物忘れをする。ま、僕もよく物忘れをするので同じようなものである。で、最近妻が行きたがらないので、僕はすっかり爺さんの話し相手なのであった(笑)
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