T氏の鳩
【10月26日特記】 もう随分前に定年になった会社の先輩(もう80歳間近かな?)が facebook にコメントを書いているのを見て、感心したり納得したりした。
仮にT氏としておこう。
T氏は自分の名前を登録するときに、姓の欄と名の欄にダブって姓名を書き入れてしまい、おまけにどちらの欄でも姓と名の間に律儀にスペースを開けているので、パッと見て何のことだか分からない。
と言われても、それこそ何のことだかわからないだろうから、具体的に(と言いつつも個人情報は漏洩せずに)書くと、例えば彼の名が谷隼人であったとしたら、彼の facebook には「谷 隼人谷 隼人」と表示されているのである。
しかし、そもそもその年で facebook をやっている人はごく少数だろうから、そういう意味では随分進んだ老人である。間違いは誰でもあることなのであって、みんなで嗤うようなことではない。
そういう前提で書く。
先日T氏の知り合いが、T氏も参加していたパーティの写真をアップしていた。それを読んだT氏がその写真の紙焼きを送ってもらえないかというコメントを書いていた。
その理由として彼が書き添えたのが、「パソコンから写真を取り出すやり方が分からないので」。
なるほどなあ、と思った。なるほどなあ、と思いませんか?
僕らはパソコンの中から写真を取り出しているという意識はない。写真がパソコンの中にあるとも思っていないし、「取り出す」というイメージもない。
きっとT氏には手品師がハンカチの中から鳩を取り出すような感覚なのだろう。
そう思うと、T氏の表現が一層優雅で豊かなものに思えてきた。確かに文章の書ける人なのである。そういう人の観察と表現だから、それはみんなで嗤うものではなく、感慨深く読む文章になっている。
そんな風に僕は感心したり納得したりした。
僕らはいろんなものの中からいろんなものを取り出すことができるのである。
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