『彼が通る不思議なコースを私も』白石一文(書評)
【9月11日特記】 白石一文を読むのはこれが4冊目か。そろそろホームページの「僕の読書遍歴、その周辺」で取り上げなければ。あのコラムは自分の本棚に3冊以上本が並んだ作家について書いているので…。
この人の小説を読んでいると、若いころの宮本輝を思い出す。テーマの選び方など、よく似ているのではないかな。白石のほうが少し幻想的な気もするが。
いずれにしても、緻密に言葉を積み繊細に表現を編んで行く作家ではない。ストーリーで押して行くタイプ、そう、ストーリー・テラーだ。そして、動画の一番良いところをストップ・モーションで切り取ったような、鮮やかなシーンが描ける作家でもある。
ただ、タイトルは巧くない気がする。この小説の、このリズムの悪い題も一体何なんだろうと思う。
いつものように、一見何でもない人生のひとコマを描いているようで、実はこれも不思議な話だ。
主人公の霧子は親友であるみずほにつきあって別れ話に同席する。ところがどうしてもみずほと別れたくない優也は衝動的にビルの屋上から飛び降りてしまう。そこを通りがかったのが林太郎で、彼は何故だか優也が無傷で助かることを予見していて、飛び降りるところを見ていたにも拘らず立ち去ってしまう。
霧子はその不可解な行動に納得が行かない。そして、数日後、コンパの席で霧子は林太郎に再会し、あの時のことを問い質す。しかし、なんだかはぐらかされ、そして、あれよあれよという間に2人は結婚してしまう。
霧子は結婚を後悔してはいないが、それにしても自分でもどうしてそんな流れになったのか、いまイチ解らない。
しかし、林太郎はその結婚さえ予見していたフシがある。
ここから語られるのは林太郎の不思議な能力(むしろ超能力と言ったほうが良い)についてである。そして、いつもの白石作品と同じく、しっかりと「死」の存在を感じさせる。
このあたりまで読んできて、そうだった、白石一文は死生観を描く作家だったと思い出す。その時点までそれを思い出せないのが白石の語り口の巧さなのである。
そして、この作品の場合は、確かに死が大きなテーマになっているが、描き出されるのはむしろ「生」への強い衝動である。彼の小説は死を描いて暗くなることもある。しかし、その暗闇の中に常に一条の光が差しているところが、彼の作品の魅力である。
さて、今回はどんな光を投げかけて、この作品を閉じるのだろう、と思いながら読み進むと、最後の章になって思いもつかなかった、突拍子もないところにストーリーはぶっ飛んで行く。
そして、説明不足のまま終わる。もちろん、その説明不足が余韻に繋がることを作家は知っている。作家が説明しなかったところから、読者の思索がどんどん広がっていくことをちゃんと予見している。
そして、ふいに気づく。ああ、その変なタイトルはそういう意味だったのか、と。
ストーリー・テラーである一方で、ストーリー以上のものを語っている。巧い作家である。
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