消耗品
【9月10日特記】 最近僕自身の「消耗品」に対する認識が変わってきた。
昔は消耗品と言えば、醤油とかシャンプーとか歯磨きとかしかイメージできなかった。要は使うと減るものである。
それ以外では、見た目が減りはしないが、いつかは使えなくなるものとして、歯ブラシとか乾電池なんかも、もちろん消耗品である。
僕の昔の消耗品の認識は、まあ、そんなとこ止まりだった。
それが最近では、なんか会社に着ていくもの、例えばワイシャツやネクタイ、スーツなんかも消耗品であるような気がしてきた(まあ、ウチの会社ではそういうものを着て出社する人は少数派だが)。
それに対して、普段着は消耗品という感じがしない。多分毎日着ないからだろうな。いや、背広やネクタイだって決して同じものを連日着ているわけではないのだが、やっぱり月~金のあいだ毎日着るものは消耗品という気がする。
で、消耗品だったら何なのだ、と言われると、まあ、あくまで一般的な感じ方なんだけれど、消耗品だったらあまりお金をかけても仕方がない気がしてくる。
僕もかつては、そんなに高くはないが、そこそこ高いものを着ていた。でも、それは少しバカバカしくなってきたのである。もちろん、ある程度良い物を着たいとは思っている(あくまである程度)が、ある程度高いものを着たいとは思わなくなった。
部分的に傷んでくるということもある。人によって違うのかもしれないが、僕の場合は決まって、背広だったら袖口、内ポケットの布。ズボンだったらポケットの玉縁、裾。ワイシャツなら袖口、パッチ・ポケット、襟。ネクタイなら結び目。
他はほとんど傷んでいないのに、部分的にどうしようもなってくる。リフォームしてなんとかなる場合もあるが、袖口が切れてきたりするとかなり難しい。
これが普段着の場合は、全体的にくたびれて、全体的に薄汚れて、いっぺんにあちこちほつれてくる。だから、あっさり捨てられる。
ところがスーツなどは、他は何ともないのに、袖口だけ傷んだりすると、ものすごくもったいない気がする。
それでどうしたかというと、発想の順序が全く逆なのかもしれないが、こういうものは消耗品なのだ、と考えることにした。
柄は問題ないのに毛が寝てしまった歯ブラシみたいなもんだと考えることにした。いや、いつの間にか考えるようになった。
こういう感覚っておかしいだろうか? でも、会社員になってから一体何着消耗しただろうかと考えると、やっぱり消耗品である気がする。
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