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Saturday, September 13, 2014

映画『海を感じる時』

【9月13日特記】 映画『海を感じる時』を観てきた。

市川由衣という女優はあまり好きではない。監督の安藤尋という人は聞いたこともなかった。

なのに何故観たかと言うと、中沢けいの同名の原作のせいだ。

僕はこの小説は読んでいない。ただ、19歳の少女が群像新人賞を受けて大センセーションを巻き起こしたのはよく憶えている。1978年のことだ。

どんな話だか詳しくは知らなかった。が、なんだかものすごい女性性を描いた小説のような気がして、手が出せなかった。自分にはまだ無理のような気がした。

いや、そんな風に具体的に思ったわけではない。でも、自分より年下の女性が自分より性的に進んでいるような匂いを嗅ぎとって、そのコンプレックスの裏返しから、若かった僕は多分恐れをなして逃げ出したのだと思う。

あれから三十数年経って、さすがにもう大丈夫かな、という気がして映画を観に行った。そして、ああ、こんなに単純な構図の話だったのかと知って少し驚いた。

主人公は女子高生の恵美子(市川由衣)。高校1年から、大学受験に失敗して働き始めた頃までが描かれる。観客は彼女の髪の毛の長さと髪型で年代を判別することになる。

話は逸れるが、市川由衣は今までロングヘアーが多かったように思うのだが、今回の映画での成人してからのショートのほうがよっぽど似合うと思った。最初の全裸シーンでとても綺麗な顔だと思った。

話をストーリーに戻そう。

彼女は学校の新聞部の2年先輩である洋(池松壮亮)に淡い恋心を描いている。その洋がキスさせてくれと言う。「私のことが好きなの?」と訊くと、「好きじゃない。ただ、キスしてみたいだけ」と答える。

池松は普段から割合ぼそぼそ喋る俳優だが、なおさら元気なく不機嫌に、そんな憎たらしいことを言う。

恵美子はそれでも洋が自分を必要としてくれることに歓びを見出して体を預ける。洋は「こんなことしてると最後まで行っちゃう。帰れ」などと言うが、結局すぐに最後まで行ってしまう。

それでも、洋はあくまで「女の人の体に興味があっただけ。誰でも良かった」などと言う。そして、それでも恵美子は洋の思うままにされたいと思う。

洋は最初は必ず一度は恵美子を避け、そして拒む。そして、恵美子のほうから迫らせて、自分が望んだんじゃない、彼女に望まれたんだという免罪符を手に事に及ぶ。ずるい男だ。身勝手の一語に尽きる男だ。実の姉との関係もマザコンっぽくって醜い。

こんな男にどうして恵美子がここまで惚れるのか、全く理解ができないが、恋なんて所詮そんなものである。こんな男に惚れちゃって、堕ちるところまで堕ちる女の子っているのだ。却って説得力がある。

恵美子のほうは一途である。ぶれない。強い。子供ができた(と思った)時に、迷うことなく「産んでみたい」と言って洋をどぎまぎさせるこの強さの源泉は何なのだろうと考えたりもする。

そして、この2人を軸とした話と並行して、恵美子と母親(中村久美)の確執も描かれる。この三十数年前の小説を現代の光に当てた時に異彩を放つのは、むしろこちらの対立軸だろう。

母親は「女だからダメだ」という時代に育ち、さも自分はその抑圧と戦ってきたように言う。しかし、その一方で、自分の手に負えないことに直面するとすぐに「お父さん!」と死んだ夫に縋ろうとする。

その矛盾とどうしようもない依存性に、自分では全く気づいていない。今から見ると哀れな存在だ。

彼女からすると、セックスは「みだらなこと」であって、子供を作るためだという唯一の言い訳によって許されるものである。そして、好きな男に安易に体を許してしまう娘を「売春婦と同じじゃない!」と激しくなじる。

しかし、恵美子は売春はしていない。好きな男とセックスしただけである。

──この辺りの彼女の論理展開は今の時代なら頗る真っ当なのだが、しかし、あの時代には母親のような感じ方、考え方こそがスタンダードだった。だから、この原作小説は大センセーションを巻き起こしたのだろう。

旧い時代の性倫理観の呪縛から女性たちを解き放つための、言わば新しい時代へのイニシエーションとして、この小説は機能したのではないだろうか?

しかし、そう考えると、じゃあ、なんで今この作品を映画化したの?ということになる。結局映画を見終わって一番感じたのはそのことだった。

あの時代の雰囲気はよく捉えていたと思う。映画の進み行きも、ちょっと昔の日活ロマンポルノのようなリズムがあり、懐かしかった。

そして、1つひとつのカットがやたらと長い映画だった。ただ、同じような長さのカットが並んでしまうために、演出としての長回しと言うよりも、なんか工夫のない印象が残ってしまった。

荒井晴彦の脚本はとてもしっかりしていて、悪い映画じゃないのだけれど、うーむ、監督は何を撮りたかったのだろうな、としばし考えてしまった。

で、パンフレットを読んで驚いたのだが、この映画は荒井晴彦が30年前に書いた脚本をほぼそのまま採用しているのだそうだ。中沢けいの荒井晴彦に対する信頼感は絶大なようで、今回の映画化に際して監督に「荒井さんの脚本通りに撮って下さい」と言ったのだそうだ。

結局これは30年前に映画化されているべき作品なのではなかったのかな? 今の時代に照らしてみると、いろんな性別・世代の観客からどこまで共感を得られるのかが疑問だと思う。

しかし、それにしても、もう少し女性客がいるかと思ったが、ほとんどがおっさんの単独客。みんな市川由衣の全裸が見たかっただけなのかな? 綺麗な裸だったけど。

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