映画『ホットロード』
【8月18日特記】 映画『ホットロード』を観てきた。
尾崎豊は好きではない。シンガーとしてもソングライターとしても好きになれない。
なのに何故その尾崎のヒットソングを主題歌に据えるような映画を観たかと言えば、監督目当てである。僕は映画の7割か8割は監督で選んでいる。
三木孝浩監督はもっともっと評価されてしかるべき存在だと思う。
彼はいつも青春恋愛ドラマを撮る。文芸大作や娯楽巨編ではなく、いつも我々の体験とどこか地続きな感じのする(でもどこか届かないところもちゃんと残っている)青春と恋愛の話を撮る。そして、結構アイドルっぽい役者を主役に据える。
だから見くびられるのかもしれないが、でも、アイドルの青春もの、恋愛ものだからといって捨てたもんじゃない。僕は映画作家としてのこの人の深い表現力に傾倒している。
『ソラニン』、『僕等がいた』(前後編)、『陽だまりの彼女』と4本観て、一度も裏切られたことがない。いずれの作品にも三木孝浩らしい独特のテンポと斬れ味がある。
それから、もうひとりの目当ては能年玲奈である。
初めて観た映画『告白』での出番は記憶に残っていないのだが、次に観たのは『グッモーエビアン!』のちょい役。その時に、なんか不思議に魅力的な娘だと思って、鑑賞記事にそう書いている。
その4ヶ月後にNHKの『あまちゃん』が始まった。
そういうことがあると、我ながら眼力があるもんだと嬉しくなる。
思えば吉高由里子も2007年の映画『転々』の脇役で見初めた。有村架純も2011年の映画『阪急電車』で目を付けた。多部未華子も、これは主演級だったが、2005年の映画『HINOKIO』からマークしていた。
そういう目の付け所は却々良いのではないかと自分では思っている。
能年玲奈については、『あまちゃん』はほとんど見ていなかったので、『グッモーエビアン!』からどれくらい伸びたかが楽しみだった。
特に今回は『グッモーエビアン!』のちょっと頭の弱そうな可愛い同級生でもなく、少しコミカルなあまちゃんともかなりタイプの違う役柄である。
前置きが長くなった。この映画の話に入ろう。
特にこの映画は若い観客が多いだろうから、単に筋を追うのでなく、この監督の映像を扱う技をしっかり観てほしいと思う。
クロースアップが多用されてはいるが、その合間にとんでもなく引いた画が挿入されている。
逆光の中の遠くの灯台。その側にかろうじて確認できる豆粒みたいな2ショット。
遠くまで見通せる、ものすごく奥行きの深い地下駐車場の、手前の床に残る血痕、等々。
こういう実際の風景でありながら心象風景のようでもあるカットが見事に効いている。
そして、この監督は音や音楽にもとても敏感な人なので、その上手さも感じ取ってほしい。
特に無音部分の使い方。わざわざ無音にしたシーンもあるが、カットの変わり目や、BGMが入る直前の一瞬の静寂も印象的。
さて、漸くストーリーに入ると、原作は1986年から連載された少女漫画の大ヒット作。
亡くなった父親よりも、高校時代からずっと好きだった男を愛する母親を見て、自分は愛されていないのではないかと悩む14歳の少女・和希(能年玲奈)。
同じく複雑な家庭に育ち、家を出てガソリンスタンドで働く春山(登坂広臣)。
万引きや外泊が絶えない和希も、暴走族の幹部である春山も、ともにある意味社会から疎外された存在である。その2人が出会って、恋に落ちる。それだけの話だ。
しかしそれは、ピュアである裏返しに独り善がりでもあった2人が、恋することをきっかけに、他者を認識し、他者を承認することを体得して行く成長譚でもある。
正直に言うと、僕には三木監督の前作『陽だまりの彼女』のほうがずっと面白かった。
しかし、夏休み中の映画館に押し寄せて満員にしている少女たちの反応を見ていると、彼女たちは僕の何倍、何十倍も感じるところがあったようだ。
ある娘は三代目J Soul Brothers の登坂広臣が「あまりにヤバすぎて」照明がついてからも席を立てないでいた。
別のある娘は、今日でまだ公開3日目だというのに、「これが4回目」だと言っていた。
帰りのエレベータの中では、僕以外全員が若い女性で、みんな口々に「良かったね」とうっとりしている。
そういう光景を見て、僕も本当に良かったと思う。
ネタバレになるので、これからご覧になる方はここで読むのをやめてほしいのだが、(次の段落に書くので、本当にここでやめてくださいね)
最後の、動かないほうの手を握るクロースアップは秀逸だった。
あ、大事なことを書き忘れていた。能年玲奈はとても良い女優に育っている。
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