『英国一家、日本を食べる』マイケル・ブース(書評)
【8月26日特記】 この本を読んだのには特別な理由がある。何を隠そう、この本の訳者の寺西のぶ子さんは僕の会社の同期なのである。前置きが長くなるが、このことは是非書いておきたい。
彼女は僕の恩人でもある。僕は最初の転勤が不本意で、生まれて初めて東京に行くのが嫌で嫌で、ものすごく落ち込んでいた。すると、彼女が「私、大学が東京だったから、案内してあげる」と言って、わざわざ東京まで来て、僕を案内して一緒に表参道から渋谷まで歩いてくれたのである。
励ましにもならないような励ましかもしれないが、僕は今思えば、あの日があったから、その後も折れずに頑張れたし、次第に東京の素晴らしさも解るようになったのだという気がする。
彼女は入社して4~5年で2年上の先輩と社内結婚して退職した。そして、子供が生まれ、漸く子育てに手がかからなくなってきた頃から、彼女の訳した本が書店に並ぶようになってきた。
僕の記憶が正しければ(とわざわざ書いているのは、僕の記憶は甚だいい加減で、ひょっとしたらこれも誰か他の同期の女性と混同しているかもしれないからだがw)、新人研修の時に講師に「この中で年に100冊以上本を読む人」と問われて、手を挙げた唯一の人物である。
彼女からは、本が出るたびに案内のハガキをもらっていた。でも、読むのはこの本が初めてである。それまでに彼女が訳した本は、いずれも僕が興味を持てないジャンルやテーマのものだったからである。
こういうのは僕独特の考え方かも知れないが、知り合いだから、友だちだからというだけの理由で、興味のない本を手に取るのは著者(訳者)にとって失礼なような気がしたということもある。
で、この本の案内をもらったときに、初めて「あ、こういう本なら読んでみようかな」と思った。でも、ちょうど買ったまま読んでいない本が溜まっていた時期だったので、結局買わないまま一年以上が過ぎてしまった(その間に続編も出版された)。
そして、そうこうするうちに、今度は別のことが起こった。
僕が twitter で知り合って、オフでも何度か会うほど親しくなった女性がいるのだが、彼女がある日 facebook でこの本を激賞しているのに出くわしたのである。
それだけなら、「偶然って、あるね」という程度の話なのだが、彼女の褒め方に驚いたのである。
彼女は、「この本は訳が巧い。よく分かっている人が翻訳しているから、とても面白い」みたいなことを書いていたのである。人が本を褒める時に、訳を褒めるというのはそうそうあることではない。
それを読んで僕は飛び上がるほど驚き、即 Amazon でポチッとしたという次第である。
で、この本はイギリスの著名なフード・ジャーナリストが、知り合いの日本人にもらった Japanese Cooking: A Simple Art(辻静雄・著)という本に触発されて、いきなり来日して日本を食べつくした旅行記である。
紆余曲折はあったにせよ、家族4人で来日して3ヶ月滞在し、東京や大阪だけでなく、北海道から沖縄まで食べ歩くと言うんだから、べらぼうなおっさんである。
成田についた初日の夜は、一家で新宿歌舞伎町に行って、飛び込みで焼きそばを食べ、「日本人はハシゴをするものだ」と聞いていたので、その後焼き鳥屋に飛び込んでいる。
翌々日は相撲部屋に行って、力士たちと一緒にちゃんこをつつき、その翌日にはフジテレビで『SMAP × SMAP』の“ビストロSMAP”のコーナー収録を見学している。こんなことができるのはひとえに日本のコーディネータに力量があったからでもあるが、彼自身のバイタリティにも凄いものがある。
彼は嫌がらずにタコも食べ、クジラも食べ(美味しくはなかったらしい)、大阪の粉モンから京都の流しそうめん、札幌や博多のラーメンまで食べている。
かと思えば、服部幸應や辻芳樹という日本の2大料理学校の総帥にも会い、一見さんでは却々行けないようなところにも案内されている。
ともかく面白いのである。
日本料理なんて生の素材を切って並べるだけだと見くびっていた著者の認識がどんどん改められて行く過程がつぶさに書き連ねられている。
そして、如何にもガイジンらしい日本に対する認識違いと、如何にも英国人らしい皮肉な語り口が、この本の隠し味になっている。
訳文は極めてスムーズである。随分長くなってしまったのでもう詳しく書かないが、一部原文と比較できるようなところでは、なるほど巧い訳だと思ったところもある。が、評価すべきところはそういうところではなく、訳文全体としてのまとまりである。
もちろん、いくら訳文が良くても、原文がまずいと面白い本にはならないし、売れもしない。この本はよく売れているらしい。彼女には「良い原文に当たって本当に良かったね」と祝福の言葉を贈りたい。
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