TB は今
【7月13日特記】 ブログというものが世の中に出てきた時、その“売り”はトラックバック(TB)とコメントだった。それは従来のホームページにはなかった、双方向の新機能であった。
しかし、いつの間にか TB は完全に廃れちゃったな、と思うのである。
僕のブログで言うと、昔は映画の記事を中心にちょこちょこ TB がついた。しょっちゅう相互に TB しているブログがいくつかあった。しかし、そういうブログも、多くはいつの間にか閉めてしまった。
最近ではめったに TB がつかない。
それはお前のブログが面白くないからだ、と言われるとそうかもしれない。しかし、それだけではないだろう。逆に僕自身が他のサイトにめっきり TB しなくなったという現象もある。
まずは流行のピークを過ぎて、ブログ人口が減っているということがあるだろう。かつてはブログに載せる写真を撮るために飯を食っているような人がたくさんいた。そういう人がやがて疲れて退場して行くのは至極当然のことである。
しかし、それだけではない。TB は面倒くさいのである。そう、同じブログの機能であるコメントと比べても随分面倒くさい。
相手のブログを読みに行って、そこから自分のブログに戻って、という2段階の作業になる。だから、スパムにしてもコメントはたくさん来るが、TB は滅多に来ない。
それに、TB はコメントに比べて少し重い感じがする。
コメントであれば、誰かの記事を読んで、その時に思ったことを何でも書けば良い。それに対して、TB は言わばその記事にかこつけて自分のブログに誘導してくるわけだから、それなりの必然性なり発展性がなければ、誘導されたほうもいやになるのでは?という心配がある。
僕自身の例で言うと、例えば映画レビューでよく TB していたころには、
- 自分と同じ趣旨の感想なり解釈が書いてあって、それを読んだ自分が意を強くした
- 自分が思いつかなかった視点で書かれていて、それを読んだ自分がなるほどと深く感銘を受けた
のどちらかのケースでなければ TB しないように心がけていた(と言うか、あまり TB しなくなった今でもそれは変わらないのだが)。
もちろんたまに、「自分とは180度異なる感じ方をしている人がいて驚いた」という新たな記事を書いて、そこに TB したこともあるが、そういうのは下手すると喧嘩を売っているようにも取られがちで、そういうことを考えると面倒くさくなる。
そう、ことほどさように面倒くさいのである。
今やソーシャル・ネットワークの時代。twitter でも facebook でも、記事(投稿)以外は何も書く必要はなく、あとはタイムラインに自動的に流れてきた、自分のツイ友や友達の書いたものを読んでいれば良い。
そういう楽さと比べると、TB は随分重い。ソーシャル・ネットワークはとにかく安楽な道具である。
だから、TB は滅びかけ、ブログは衰退する。でも、だからと言って、僕はブログをやめて facebook オンリーにしたりしない。ここは違う生理で読む場所なのだ。
だから、僕は facebook のプロフィール欄にこそこのブログの URL を書いてはいるが、決して facebook のタイムライン上でこのブログの URL を紹介したりしない。
僕にとって、ここは違う生理で読み、違う生理で書く場所なのである。そして、違う生理で読んでほしい場なのである。だから、僕はブログをやめない。ただ、やはり TB は減っている(する側も、される側も)。
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