『ひとりの体で』ジョン・アーヴィング(書評)
【7月8日特記】 随分長くかかってしまったが、これはうまく読書の時間が取れなかったせいで、面白くなかったり読むのに難渋したりしたからではない。
長編は全部読んでいるアーヴィングの新作である(日本では昨年出版された)。
アーヴィングであるからには、もう読む前からアーヴィングなのである。上巻の帯には「レスリング選手」の文字がある。そうか、やっぱりレスリングが出て来るか(笑)と思う。
多分、主人公は作家になるだろう。そして、自分から男にまたがってくるような威勢の良い女の子が出て来るのだろう。それから、怪我や病気で体の一部(あるいは一部の機能)を失った人物も出て来るのだろう。
確かにそうだった。でも、威勢の良い女の子も、肉体的な欠損を抱える人物も、それほど大きく筋には絡んでこない。また、この作品には熊は出て来ない。
主人公はレスリング選手にはならないし、レスリングをするシーンもなかなか出て来ない。長じて作家にはなるが、今までの作品と大きく異なるのは、主人公はゲイである、いや、違う、バイであるというところである。
この小説ではセックスとジェンダーが中心のテーマである。もう初めから終わりまで、徹底して所謂 LGBT(最近では Questioning を加えて LGBTQ と言うのだということを初めて知った)をテーマにした LGBTQ の物語である。
それは生易しい話ではない。
「親の血を引く」という物の見方(それが正しいかどうかはともかくとして)に出生の秘密が重ねて語られる。同性にも異性にも惹かれる少年の不安として描かれる。そして、いつしかそれは挿入の快感として語られ、やがて猛威を振るうエイズの時代の中でバタバタと死んで行く友人たちの姿として語られる。
作者が指摘している通り、これは極めて政治的な物語である。
アーヴィングは性的少数者の作家ではない。それがここまで決然とした筆運びで性を描いていることに、読者は純粋に驚くのではないか。
主人公のビリーは怒っている。アーヴィングも怒っている。
でも、これは難しい政治的な文章には堕ちていない。そこにはいつものアーヴィングの豊潤な物語がある。長編ならではのうねりがある。ひとりひとりの個性的な登場人物に対する思い入れと愛がある。
──ストーリーテラーとして、容易に追随を許さない、偉大な作家の面目躍如である。
アーヴィングを初めて読む人にお勧めする本ではない。できればこれより古い作品を大体読み尽くしてから読んでほしい。そうすることによって、きっと今回のアーヴィングの思いの強さが理解できるのではないかと思う。
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