« 『テレビという記憶』萩原滋・編(書評) | Main | バスが停まってから »

Tuesday, July 22, 2014

足から

【7月22日特記】 突然思い出したことがある。

あれは何だっただろう? テレビの対談番組である。『三枝の美女対談』だっただろうか? いや、それだと時代が合わない。僕が小学生か、せいぜい中学生の頃の番組だったはずだ。

ともかく、司会が男性のタレントで、ゲストは女性だった(あるいは独立した番組ではなく、何かの番組のコーナーであったかもしれないし、ゲストも毎回女性だったわけではないのかもしれない。この辺の記憶ははっきりしない)。

で、その番組の中で、司会者はよくゲストの女性に対して、「お風呂に入った時にどこから最初に洗います?」という質問をした。

今の若い人は「何ソレ?」と思うかもしれないが、あの時代にあって、テレビという媒体特性の枠内でできる精一杯の、ちょっとエッチなファン・サービスである。

視聴者はゲストの美女が入浴する様を想像して、ちょっと興奮するのである。「そんなバカな」と笑われるかもしれないが、そんな時代だった。

さて、僕は上に書いた通り当時小学生か、ひょっとしたら中学生だったのだが、どうしてそんな馬鹿げた質問をするのか不思議で仕方がなかった。

僕に言わせると、それは「足から」以外にあり得なかった。それは父親から、「体に刺激を与える何かをする場合は必ず心臓に遠いところからやれ」と叩きこまれていたからである。

だから、その答えは言わずと知れた「足から」だった。「足から」であるべきだった。

必ず右足から、というほどのこだわりはなかったが、ともかく足から洗うのが僕にとっては常識で、みんなそうしているものだと思い込んでいた。

ところが、番組でそう訊かれた美女の答えは一様ではなかった。もちろん「足から」という人もいた。でも、「顔から」とか「手から」とか「髪の毛から」というような人もいた。

僕は最初信じなかった。それは女性タレントたちがイメージ戦略の一環で嘘をついているものだと思っていた。ことほどさように「心臓に遠いところから」という父の教えは浸透していたのである。

ところが、ひょっとするとみんなそうしているのではないのかもしれないのだ──ちょうどそんな風に思い始めた時に観た回のゲストが、なんと、「汗をかいたりしてると気持ちが悪いので、私は必ず首から洗います」と言っているのを聞いた。

僕は仰天した。そんな人もいるのだ。「汗をかいて気持ち悪いから」という理由にもなんだか信憑性を感じる。皆が皆、心臓に遠いところからと考えているわけではないのだ!

それが僕の中で父親の権威が崩れ始めた第一歩であったかもしれない。それが僕の海の始まりであった。

何の脈略もなく、突然思い出して、突然書いてみた。今僕は、最初にどこを洗うか、必ずしも一定していない。

※ 「海の始まり」というフレーズは、知っている人ならピンと来たでしょうが、豊田勇造の歌のタイトルから拝借してきました。僕が今回書いた内容とは直接関係がありませんが、彼にとってあの歌が海の始まりであったように、僕の中で父親の権威が崩れ始めた日が、僕の海の始まりであったような気がします。

|

« 『テレビという記憶』萩原滋・編(書評) | Main | バスが停まってから »

Comments

Post a comment



(Not displayed with comment.)


Comments are moderated, and will not appear on this weblog until the author has approved them.



TrackBack


Listed below are links to weblogs that reference 足から:

« 『テレビという記憶』萩原滋・編(書評) | Main | バスが停まってから »