映画『オール・ユー・ニード・イズ・キル』
【7月5日特記】 映画『オール・ユー・ニード・イズ・キル』を観てきた。
ご存じの方はご存知の通り、僕はあまり外国映画を観ないのであるが、これは予告編を見て面白そうだったからということもあり、また、日本人作家の原作であるということにも惹かれた。
いつもなら、「この映画の邦題はひどい」と書くところだが、これは原作小説からしてこのタイトルであったとのことなので仕方がない(笑)
この手のジャンルには全くの門外漢なので、原作の桜坂洋という作家がどれくらい有名なのか、また、この小説がどれほどに評価されているのかまるで知らないのであるが、まあハリウッドが映画化するくらいなのだから、大したものなのだろう。
で、確かに結構面白かった。
時代は近未来。異星の生命体が地球に総攻撃をかけてきて、地球の統合防衛軍(UDF)は防戦一方、敗色濃厚である。
主人公のケイジ(トム・クルーズ)は米軍の広報担当の少佐で、広告塔としてテレビに出演し、戦闘スーツの宣伝をして入隊志願者を増やすのが仕事である。
元々は広告会社を経営していたが、倒産して仕方なく軍隊に入った人物で、しゃべり専門で、戦闘訓練さえ受けたことがない。
それがどういう風の吹き回しか、突然前線での取材活動を命じられる。なんととしてでもそれを避けようとして、将軍に脅迫まがいのことをやってしまったことが裏目に出て、正真正銘の戦闘員(しかも二等兵)として前線に送り込まれる羽目になる。
初めての実戦であり、しかも、クソ重くて安全装置の外し方さえ分からない機動スーツを着ていることもあって、金属製のイカかプロペラみたいな異星人にすぐに殺されてしまう。
しかし、殺された瞬間から時間が戻り、前線基地に着いたところで目が覚めて、そこから同じ一日を繰り返すことになる。
とはいえ、同じことを繰り返すうちに、敵の動きやその後の展開が読めるようになり、自ら違う展開を試してみる余裕も出てくる。戦闘のノウハウさえついてくる。生きている時間は次第に長くなって新たな展開を経験する。でも、結局殺される。しかもあっけなく。
僕は映画を観ていて、これ『オール・ユー・ニード・イズ・キル』じゃなくて、『オール・ユー・ニード・イズ・ダイ』なんじゃないの?などと思う(笑)
そして、そのうちに戦場で伝説の女性兵士リタ(エミリー・ブラント)に会う。「今度生き返ったら私を探して」と彼女は言う。彼女もまた同じ一日を繰り返しているらしいのだ。
まことによくできた設定である。
で、誰でも思うことだが、これはゲームと似ている。失敗するとリセットされて、そのステージの最初に戻る。まさにゲームと同じシミュレーションである。
パンフを読むと案の定誰かがゲームとの類似性について書いており、それどころか、原作者もゲームからの発想であることを認めている。
50年くらい昔であれば、きっと誰かが「日本人的、仏教的な輪廻転生の世界」などと解説したのだろうが、今ではそれは全くの異質なものである。特に、映画の中では、リセットするためにわざわざぶっ殺すなんてことが頻繁に出て来る。
──これこそゲーム感覚である。
そして、ケイジの、見かけだけは少佐だが戦争とは程遠いところに隠れている軟派な軍人という設定が絶妙である。トム・クルーズも非常に良い味を出している。
これは小説にはなかった、映画オリジナルの設定なのだそうで、これがこの映画のキモになっている。で、出だしがそういう設定になっているから、アメリカ人が好きな成長物語のテーストになっている。
もうひとつ、アメリカ人が大好きな要素である「家族」はこの映画ではほとんどないので助かった(僕はどうも食傷気味なのでw)
映画館から出てきたら、後ろから出てきた学生風の男性2人組が、「最後はご都合主義でしたね」と笑っていたけれど、まあ、そんなもんなんじゃないの?
変な言い方だけれど、僕はあまりハリウッドに期待していないので、まあこんなので充分。特撮のレベルは当然高いしね。ただ、3D で観る必要はどこにもなかったかな(笑)
しかし、それにしても、近年アメリカ映画では、スピルバーグが出てきた時のような、「紛れもない娯楽映画なのだけれど、しかし、この人の表現力はすごい!」というような監督をあまり見聞きしない。
僕が知らないだけで、そういうすごい存在はどんどん出てきているのかしらん? でも、そんな卓越した表現力や感覚がなくても、これくらい面白い映画が撮れてしまうのだから仕方がないのかもしれない(笑)
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