映画『万能鑑定士Q モナ・リザの瞳』
【6月7日特記】 映画『万能鑑定士Q モナ・リザの瞳』を観てきた。佐藤信介監督。全然知らなかったのだが、松岡圭祐による、累計400万分突破の超人気ミステリが原作なのだそうだ。
舞台はパリと東京。日本での40年ぶりのモナリザ展を巡る犯罪が企てられ、そこに巻き込まれた主人公がその秘密を解き明かして行く話だ。
ちょっと飛びすぎの感がないでもなく、まあ、一番悪く言うと“茶番”なのだが、僕は割合楽しんで観られた。
主人公は天才鑑定家・凜田莉子(この漢字が一発変換されるくらいなのだから、やっぱり超人気ミステリなのだろうw)。演ずるのは綾瀬はるか。
で、この人には、簡単に言うと、常人には備わっていない能力がある。超人的な観察眼と記憶力である。ものすごく些細な情報から、驚異的な記憶を辿って、誰にもできない推論を披露してみせる。
僕は結構あちこちに書いているのだが(例えばここ)、「設定のリアリズムと進行のリアリズム」ということを常々考えていて、小説や映画においては設定のリアリズムにはこだわらないが、進行のリアリズムの乱れはとても気になってしまうのである。
この映画で言うと、莉子が今までひと言もしゃべれなかったフランス語を一晩でマスターしてしまっても別に構わない。超人が登場するのがフィクションなのだから。
ただ、合宿所で「明日からは通訳しない」と言われて急に勉強しなければならなくなったわけだが、その夜に彼女が読んだ大量のフランス語の教科書や文法書はどこから来たのかが気になってしまう。
あの場所に元からそういう本がたくさんあったとは思えない。あれだけの数になると、本を選ぶだけでも何時間もかかるはずだ。二つ返事で彼女にそれを届けてくれる人がいるようにも思えない。
彼女が一晩であれだけの量の本を、独特の速読術で読破して、独特の記憶術でマスターする能力があるのだという設定は、それはそれで良い。彼女は超人なのである。
ただ、いくら本を読んで理解して記憶しても、聴き取りと発音の練習にはならないはずだ。それが翌朝にはフランス語ペラペラになっているというのではリアリズムが壊れている。
辻褄を合わせたいのなら、たとえ数秒でも莉子が CD やテープを聴いている画を入れておくべきである。でなければ進行が繋がらない。
この映画にはそんな風に進行のリアリズムが壊れてしまっているところがたくさんある。上に書いたのは脇の話だが、本筋の中でそういうのが出てくるとちょっと白けてしまう。
設定は非常に面白いし、全体のトーン・コントロールもうまくできていると思うのだが、随所で進行のリアリズムが台無しになっているのが、ちょっと残念である。
ま、とは言え、もうひとりの主人公である「週刊角川」の落ちこぼれ記者・小笠原(松坂桃李)のキャラもよく立っていて、莉子との会話も面白い。贋作当てゲームのロジックも却々楽しめたし、どうでも良い波照間島のエピソードも良いアクセントだった。
ただ、犯人が莉子に仕掛けてくるやり方が手が込みすぎていて、ちょっとおかしかったりする。まあ、そういうところなんですよね、さっきから言っているのは。悪いのは原作なのか脚色なのか分からないけれど。
本で読んだら多分面白いのだろうなとは思った。「本格ミステリ」みたいな感じで最初から力入ってしまったら(原作であれ映画であれ)げっそりするのかもしれない。僕の場合は何の先入観も期待もなく観たので、まあまあそれなりに面白く観た。後口は悪くない作品だ。
ところで、松坂桃李は最初見た時には何の魅力も感じなかったのだが、ここのところ随分こなせる役の幅が広がって、いい感じになってきたと思う。
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