熱の行方
【6月21日特記】 風邪を引いて思い出したのだが、昔は風邪の治療と言えば思いっきり厚着をして、家にある限りの布団を引っ被って、ともかく汗をかけと言われたものだ。
それが最近では逆に適度に熱を逃したほうが良いと言われる。無理して汗をかこうとすると熱中症になってしまうらしい。
そう言えば、昔はスポーツの途中で絶対に水を飲ませてもらえなかった。全ての教師、先輩、あらゆる指導者が「水飲むとバテる」などと言ったものだが、今ではこちらも熱中症の原因になるのがはっきりしており、むしろみんなが水分の補給に気を配っている。
昔は一事が万事こんな感じだったのだ。何と言うか、それが良いと信じてやったことではあるにしても、要するに体にギリギリまで負荷をかけて、ギリギリまで耐えさせるのである。
医療でも体育でも、それが全ての基本だったのだ。
暑いけど、負けるな!頑張れーっ、てなもんである。よくもまあみんな熱中症で倒れなかったものであるが、言わば一億総熱中時代であった。
そう、水谷豊の北野先生が熱い教師を演じた熱中時代である。いや、そのずっと前から、夏木陽介が、竜雷太が、村野武範が、森田健作が、中村雅俊が、日本中みんながみんな熱かったのである。
思えばアメリカで cool という単語が「カッコいい」の意味で使われ始めたのはいつ頃だったのだろう?
今では熱いよりも冷えている方がカッコいい時代になってきたのだ。
顔を真赤にして必死で頑張って成し遂げた奴よりも、あんまり必死になっている風でもなくうまいことやった奴のほうがカッコいいのである。
では、ひたすら熱い奴は忌避され嫌悪されるのかと言えば必ずしもそうではない。
例えば、極度に暑苦しい松岡修造を面白がる文化があるにはある。
かつてカッコいい男の典型は「不言実行」であった。これは熱中時代より1つ前の高倉健さんらの時代だ。それがいつの間にか新しい四字熟語である「有言実行」に取って代わられた。
昔はそもそもべらべら軽々しく喋ることからして男として既に落第だった。それが今や、クールに宣言してクールに達成するのがカッコいいのである。
そんなことはもちろん誰にでもできる芸当ではない。クールに宣言するのは勇気のいることであるし、クールに達成するのはその何倍もの至難の業である。
なのにそれを真似ようとするのは間違いで、今こそ僕らは(健さんの時代のカッコいい男に戻るのは無理でも、せめて)皆に笑われながらも松岡修造的な道を探ることも考えたほうが良いのかもしれない。
風邪とスポーツの熱中症の話から、なんだか全然関係のない話になってしまった。
もちろん風邪を引いた時に今更松岡修造的治療法を試みる必要はない(笑)
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