映画『私の男』
【6月14日特記】 映画『私の男』を観てきた。熊切和嘉監督、浅野忠信・二階堂ふみ主演。原作は桜庭一樹の直木賞受賞作──と言われて、あ、そうか、この作家は結局直木賞を獲ったんだっけ、と思い出した。
僕は、この作家の作品は『赤朽葉家の伝説』と『ばらばら死体の夜』しか読んでいない。
全くどんな話か知らずに観に行ったのだが、これは却々厳しい話だった。人によっては禍々しい話と言うかもしれない。浅野と二階堂が義理の親子であるという設定と、『私の男』というタイトルから想像がつくかもしれないが…。
パンフレットに中村珍という女性漫画家が、原作や映画に対しては敬意を表しながら、この2人の愛の形に対しては嫌悪感剥き出しに書いた記事が載っている。ネタバレになるのでそれ以上は書かないが、要はそういう毛色の物語である。
ただ、僕にはこの中村女史のような拒絶感は最後まで湧かなかった。映画を見終わってから、なるほど確かにそういう感じ方をする人はいるのだろうと思う一方、なるほど確かにこういう愛のあり様もあると思った。
同じくパンフレットに中条省平という大学教授が、井上ひさしの指摘も引用しながら、このストーリーをいくつかのギリシャ神話になぞらえて分析していたが、この解題は見事だと思った。
原作小説はかなり込み入った構造をしているらしく、熊切監督の盟友・宇治田隆史は随分とシンプルに組み替えて脚本を物したようだ。
ただ、それにしても冒頭から分かりにくい映画であることは否めない。こういう風に、なんだか分からないまま辛抱して見続けているとおぼろげに少しずつ分かってくる映画、というのはよくあるといえばある。だが、見る側は少し辛い。
で、少々しんどいなと思いながら、それでも画面の独特の色調に惹かれるまま観ていたら、これもネタバレになるので詳しく書かないが、血の雨のシーンから俄然引き込まれてしまった(このシーンのイメージは秀逸だ)。
後半は見事に観客が映画に引きずり回される。
二階堂ふみという女優は、『ガマの油』で初めて観た時には、この映画1作で消えるだろうと思い、次がある女優だとは想像しなかった。
それが『劇場版神聖かまってちゃん ロックンロールは鳴り止まないっ』では主演級になり、「ああ、この娘はこういうマイナー路線でカルト的に生きて行くのかもしれない」と思っていたら、『ヒミズ』でマルチェロ・マストロヤンニ賞を獲って大化けしてしまった。
今ではとても華のある女優になった。そして、この映画ではものすごい存在感がある。ピュアな部分とドロドロした部分、弱々しい少女性としたたかな女性性を見事に共存させて、愛の真実を演じ切ったと思う。
浅野忠信はいつもの浅野忠信なのだが、いつもどおりの怪優ぶりである。高良健吾の乳首を舐めたりするエキセントリックさは、この人しか出せないだろう。
原作にある台詞なのかどうなのか定かでないが、ここにはどきっとするほど切れ味の鋭い台詞がたくさんある。
- 「俺はお前のもんだ」(「お前は俺のもんだ」ではない)
- 「ちょっといい? 話したいんだけど」「いや、いいよ、別に」(絶望的な拒絶)
- 「お前には無理だよ」(娘が連れてきた男への台詞)
共演者も素晴らしい。特に親戚のおじさん役の藤竜也と警官役のモロ師岡。僕の大好きな安藤玉恵も出ていた。
そして、やっぱり凄いのが流氷だ。本物の流氷の上で撮影した、真っ白の中にひび割れたような海と、ポツンポツンと点のような人間──あの画は何も語らないようであり、何かを語っているようでもある。
熊切和嘉は前作『夏の終わり』で初めて観た監督である。とても良い画を撮って、とても良い映画を作る人だと解った。
ただ、2作観て、僕の好きなタイプの監督でないことも、これではっきりした。いや、貶そうというのではない。評価の話ではなく趣味の話である。
ところで、最後のシーンの二階堂ふみの唇の動きが、僕には読めなかった。監督が「分かる人にだけ分かれば良い」と思って撮ったシーンならそれで良いのだが、そうでなかったとしたらとても残念である。
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