吉田拓郎 AGAIN
【6月23日特記】 吉田拓郎が微妙なアルバムを出した。
いや、「微妙な」というのは決して拓郎を貶しているのではない。ただ、ネガティブな表現ではある。何がネガティブかと言うと、僕が買うかどうかということである。
このブログにはあまり書いたことがなかったかもしれないが、僕は吉田拓郎を中学入学時からずっと聴いてきた。若干遡って買ったものも含めて、デビュー・アルバムから、オリジナル・アルバムはずっと全て買い揃えてきた。
吉田拓郎は僕の青春の全てと言っても過言ではない存在で、彼に憧れて僕は曲を作り歌ったりもした。彼の歌に励まされて幾多の困難を乗り越えても来た。僕の人間形成にものすごく大きな影響を与えたシンガー=ソングライター──それが吉田拓郎だった。
それが、どこからか買わなくなった。
吉田拓郎が悪いと言うのではない。吉田拓郎だけが変わってしまったというのではない。僕の感性も変わってしまったのだ。
ちょうどボールとバットみたいに、両方が動いているのだから、昔みたいにスイート・スポットに当たらなくなってきたというようなことはあるのだ。
今回発売になったアルバムは新録音のセルフカバーである。
これが新作であれば、前作も前々作も買っていない僕は、多分今回も買わない。
これが単なるベスト盤やコンピレーションであるなら、やっぱり僕は買わない。何故ならその音源は既に持っているからである。
ところが、セルフカバーである。そして、新アレンジの新録音である。しかも、『わしらのフォーク村』みたいな、完全に忘れ去っていた、でも聴くと胸がキュンと鳴る、見事に狭いところを突いた選曲である。
本人が選んでいるのだから、当たり前なのかもしれないが、『風邪』とか『爪』とか、非常に“通な”選曲である。
微妙なアルバムを出したものだ。買おうか、買うまいか。
いや、手に入れるか入れないかを悩んでいるのではない。間違いなく手に入れるのである。
問題は Amazon で買うか、TSUTAYA DISCAS で借りるか、である(もちろん別の店舗から買ったり借りたりしても良いのだが)。
つまり、パッケージ・メディアとして所有するか、データのみを保持するかの選択であり、ここには精神的な部分で大きな違いがある。
持つべきか、聴ければ良いのか―そういう感じ、解っていただけるだろうか? そういう微妙な感じ(笑)
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