適当の芸
【5月15日特記】 最近、テキトーにするということが少しできるようになったような気がする。
こういうのは性格だからどうしようもないのだけれど、昔はテキトーにするということができなかった。いや、許せなかった。とことんまで突き詰めるのが人間の務めだと思っていた。
しかし、世の中にはギリギリ突き詰めずに、テキトーに放っておいたほうが良いものもあることを、いろんな局面で身を以って体験し、理解して、そういうことの積み重ねからテキトーに過ごすという芸当を身につけてきた、と自分では思っている。
そう、それは芸なのである。テキトーが不作為ではなく芸になったから、僕の心の中で折り合いがついたのではないだろうか。
ひとつひとつ頭で考えてやっているうちは、それは芸ではない。芸とは、鍛錬によって習得し、身につけるものである。
それが少しずつ自分の身についてきたような気がするのである。
しかし、僕のような、小学校に上がる前から几帳面、神経質と言われた人間が、芸としてそういうものを身につけるのは我ながら理解できるのだが、世の中には逆に子供のころからずーっと、何ごともテキトーにしかできない人もいる。
そういう人は年を経るにつれて、一体どういう芸を身につけて行くのだろう?
──ついついそういうことを考えてしまうところが、僕の芸が最後の高みに達しない原因かもしれないが(笑)
Comments
東宝の「日本無責任男」を見て、とても感動した自分が好きだった。作詞家青島幸男氏、テキトーという言葉には行きつかなかった。結局ずいぶんテキトーな人でしたが。
Posted by: hikomal | Friday, May 16, 2014 18:38