嫌われる上司
【4月24日更新】 2~3日前にも仕事絡みの記事を書いたが、自分がサラリーマン晩年期に突入したせいか、この頃よく仕事について、特に仕事のやり方の今昔について考える。
自分が管理職の端くれになった時に、不意に「そうか、部下に好かれるだけが良い上司ではないのだ」と思ったことがある。
部下からはどれだけ嫌われ疎まれても、部下をしっかり鍛えて育て上げ、ちゃんと管理して社業に貢献していれば、それは立派な上司である。
だから、最初から嫌われるのを覚悟で接するというやり方もあるのである。
しかし、しかし、だ。そんなことを今やると決して良い上司にはなれないだろう。なぜなら今の部下は全くそれに応えないだろうから。部下は決して鍛え上げられもせず、成長もせず、働く気にもならないだろうし、社業にも繋がらないだろう。
しかし、僕らは理不尽な上司に耐えた。理屈なく耐えた。
それが実は立派な上司であったとしても、ただ情緒不安定で我がままなだけの上司であったとしても、等しく僕らはそれに耐えた。なぜなら耐えることだけがサラリーマンとして生き残る道であったから。
会社を辞めるなんて考えなかった。いや、少しは考えたけど結局会社に残った。上司を訴えるとか労働基準監督署に駆け込むなんてことは、これは微塵も考えなかった。
ただただ僕らは耐えたのだ。そして、耐えたことによって得たものは確実にあった。
でも、もうそのことの真髄を若い人たちに正しく伝えることは不可能だろうと思う。言うまでもなく、若い人はそういう上司に正面から応えたりはしない。
まるで公用語が変わったかのごとく、労働のあり方は変わってしまったのである。
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