見たくならない映画、観たくなる映画
【4月27日特記】 ここのところ何年かは大体週1本のペースで映画鑑賞記事を書いているが、今週は観たいものがなかったのでパスした。
あくまで一般論ではあるが、僕には「そういう売り方をされると観る気にならない映画」というのがある。
ひとつは、多分これは前にもどこかに書いたことがあると思うが、「泣ける映画」である。
映画を観て泣くのは一向に構わないが、自分から泣きに行こうとは思わない。泣くことはデトックスになる──それは大いに認めるが、だからと言って泣ける作品を求める気は僕にはない。
そもそも「泣ける」って、本来は「自然に泣ける」という“自発”の意味のはずだが、それをまるで“可能”動詞のように扱っていないか?──そういう風潮への反発もある。
それからもうひとつは、多分こっちのほうは今まで書いたことがないと思う(例によって忘れているだけかもしれないw)が、それは「本当にあった話」の映画化である。
僕は徹底的にフィクション志向で、事実に基づいた映画というものにあまり価値を感じない。
むしろ、事実を脚色・演出する才能より、ゼロからオリジナル映画を作り出す創意を凄いと思う。
そもそも、いくら事実を基にしていても、映画化した途端にそれは完全な事実ではなくなる。仮にそれを経験した本人が脚色し、演出しても、もはやそれは「本当にあったこと」とは微妙に(場合によっては大きく)変わっているはずだ。
ならば、そんなものを売り物にしないでほしいな、と思う。
しかし、僕からすれば不思議であっても、世の中には「泣ける映画」に惹かれ、「事実を基にした映画」に引き寄せられる観客がいるのだろう。そして、そういう人が少なくないから、そういう売り方をするのだろう。
別にそれが悪いと言っているのではない。単に不思議だと言っているだけだ。
それから、今週はたまたま観たい映画がなかったから観なかったというだけで、今上映中の中にそういう映画があると言っているのでもない(あるのかもしれないが)。
ま、映画はたくさんある。片っ端から観て行くほどの余裕は誰にもないので、みんな観たいものを見れば良いという、極めて当たり前の話である。
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