『写字室の旅』ポール・オースター(書評)
【4月8日特記】 読み始めてすぐに「あらら、オースターはなんだか先祖返りしてしまったみたい」と思った。確か初期の『幽霊たち』というのがこういう作風の小説ではなかったか。人物が実在の人物らしく描かれない、なんだか抽象的な小説だった記憶がある。
あの時はあの小説はあの小説で面白かったのだろうけれど、それはあの時期に読んだからであって、ここまでずっとオースターの長編を1冊も欠かさず読んできた今となっては少し物足りない。そう、読んでいて面白くないのである。
オースターの作品は、少なくともその『幽霊たち』の次の『鍵のかかった部屋』辺りからは、読んでいて面白くて面白くて、早く先が知りたくてどんどんページが進む小説ばかりである。ところがこの『写字室の旅』は読んでいる途中それほど面白くない。困ったことである。
小説の舞台はどこだかわからない一室。そこに老人が座っている。老人はほとんどの記憶を失っている。自分の名前も分からない。ここでは便宜的にミスター・ブランクと名付けられる。そして、老人は一日中カメラで監視されている。
その部屋に次から次へといろんな人が訪ねてくる。その誰のことも、ミスター・ブランクは憶えていない。しかし、話を聞いているとおぼろげに思い出したような気になる。訪ねてきた人物は皆ミスター・ブランクがかつて送り出した「工作員」だったと言う。ミスター・ブランクの心に、彼らに対してひどいことをしたという罪の意識が甦ってくる。
──と書くと面白そうに見えるかもしれないが、「次第に真実のベールが剥がされて行く」というようなスリリングな展開になっているわけではないので、残念ながらそんなに面白くない。
ただ、作中作が入れ子になった巧みな構造の小説で、それが最後には、うむ、これはこれでオースターらしいかなという不思議な形になってふっと終わってしまう。うむ、しかし、どちらかと言うと「面白い」と言うよりは「分からない」に近い。
で、読み終わって柴田元幸の訳者あとがきを読んでびっくりした。ミスター・ブランクを訪ねてきた人物は全員が、今までオースターが書いてきた小説の登場人物だったのである。
僕は、いつものことだが、読んだものは(面白かったかどうかというおぼろげな記憶は別として、具体的なことは)大体きれいさっぱり忘れていて、この小説を読んでいる間も、あとがきで知らされた後も、誰一人として思い出さなかった。
はあ、そうだったのか。そうなると(と言うか、そういうことを憶えている人が読むと)それは面白いかもしれない。つまりは、このミスター・ブランクは作家オースターがたくさんの小説を書き終えた老後の姿だという解釈が成立するのである。
全く間抜けな話だが、あとがきを読んで、「はぁー、そういうことだったのか」と驚いた次第である。
で、柴田も書いているが、そういう小説には当然「長年のオースターのファンでないと、その面白さが分からない」という批判がある。そのことについて柴田は、
オースター作品をまったく読んでいない読者ならここをどう感じるだろう、と思い巡らすこともしばしばあったし、もしかしたらそういう読者には、この本はかなり違った、独特の謎をはらんだ作品のように読めるのではないか、と、そのような仮想的読者に対してある種の羨望を感じさえしたのである。
などと書いているが、オースターを全部読んで全部忘れている僕がそれに答えるとしたら、「いや、それほどでもない。憶えていないとそれほど面白くはない」としか言いようがない(笑)
しかし、皆よくそんなに憶えているものだと思う。僕は、何度も何度も何度も書いているが、読んだらすぐに忘れてしまう。そこでふと、まるでミスター・ブランクみたいだな、と気づいた。
すると、なんだかこの小説と同じように、典型的にオースター的な構造的な面白みの中に取り込まれてしまって、今非常に不思議な気分で小説の余韻に浸っている(笑)
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