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Saturday, March 15, 2014

映画とテレビを画面の違いで考える

【3月15日特記】 多分ここにも前に書いたが、たまに「どうしてそんなに邦画が好きなんですか?」と訊かれることがある。僕は「日本人だから」と答えることにしている(笑)

それに笑わずに、まだ食い下がる人に対しては、「じゃあ、和食が好きな日本人に『なんで和食が好きなんですか?』って訊くか?」って訊くことにしている。

で、これはつい先日のことなのだが、ある30代前半の女性に(わざわざ年齢に触れているのは、後述するようにそこがキモになってくるからだ)久しぶりに同じようなことを訊かれた。

僕はいつもどおり「日本人だから」とそっけなく答えたのだが、彼女は僕の答えにお構いなしに、こんなことを言ったのである。

「洋画だったらアクションとか特撮とかがすごいから大きな画面で観たいけど、邦画をわざわざ映画館で観ることないじゃないですか」

なるほど。いや、これを洋画 vs 邦画の対立軸で語るのは不適当だとは思うが、ふむ、言わんとすることは分からないでもない。

で、その時はそこから他の話題に逸れてしまったのだが、その場で僕が返すべき答えはこうであったはずだ。

「それは君、テレビが大きくなったからだよ」

今30代前半くらいの人は知るはずもないが、僕らが小さかった頃「お茶の間」にみんなで集まって観ていたのは十何インチのテレビであった。大きな箱の前面に露出したひとまわり小さなブラウン管。

その時代からテレビ受像機もテレビ放送もそれなりに進化はしたが、20世紀の間は大体10+αインチ~30インチくらいの画面を僕らはずっと観てきたのである。

僕の場合、独身時代に持っていたのは14インチのテレビだった。結婚して27インチのテレビになって、随分デカくなったと感慨深かった記憶がある。

そんな世代の感想として、テレビと映画の違いを象徴的に語ると、

登場人物が自分より小さいのがテレビ、自分より大きいのが映画

だった。これは僕がずっと持ち続けてきた感覚である。

テレビ画面では顔のアップになっても大体自分の顔と同じくらいの大きさだ。ロングの画になると人間は豆粒とまでは言わないが、虫けらのサイズになってしまう。

それに対して、映画館の場合、例えば昔の吉祥寺ジャヴ50みたいな、とても小さなスクリーンのミニ・シアターもあったが、それでも画面に映っている人間は大体自分より少し大きかった。

僕は自分より大きな人物を観るために映画館に通っていたのである。これは後付けの分析ではなく、随分昔からの僕の実感である。

ところが、21世紀に入ってテレビはデジタル化したことによって一気に高精細化し、その当然の帰結として大型化し、一般家庭でも50インチの受像機が全然珍しくなくなってきた。

そして、僕らと違って小さい頃からそういう画面に親しんでしまった人には、「家のテレビでは小さな画面でしか見られない」「映画館に行けば大きな画面で観られる」という想いがないのである。

それは君、君の年齢だと知らないだろうけれど、テレビが大きくなったんだよ。だから平気で映画をテレビで観ようと思うんだよ。

僕らの世代では、テレビはある種「魔法の箱」ではあったけれど、あくまでそれは「お茶の間」というケの世界に置いてあったもの。それに対して映画館はやっぱりハレの世界だった。

あとは日本映画をケと捉えるかハレと捉えるか、その感覚の違いだと思うんだけどな。

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