『テレビジョンは状況である──劇的テレビマンユニオン史』重延浩(書評)
【3月13日特記】 僕は重延さんが書いた文章を結構読んでいる。そのほとんどが毎月送ってもらっているテレビマンユニオンニュースに掲載されたものである。
いつもその明晰な分析力と多角的な構築力に圧倒されるのである。いつもものすごく刺激に満ちた文章なのである。しかし、今回のこの本ほど面白いと思ったことはなかった。
そう、この本は意義深いとか正しいとか言う前に面白いのである。僕にとって初めての、面白くてたまらない重延浩だった。
僕は重延さんがテレビマンユニオンの創設メンバーであることは知っている。名刺交換をさせてもらったこともあるが、その時は既に社長で、当時の僕のようなペーペーの営業マンからすると、単に「プロダクションの偉い人」でしかなかった。僕は重延さんのことを勝手に「テレビマンとしてよりも経営者としての才覚を早くに見出され、経営に専念してきた人」だと思っていた。
考えてみれば、僕は彼の作った作品にはほとんど触れずにきてしまった。実は『アメリカ横断ウルトラクイズ』という番組は一度もまともに見たことがない。『世界ふしぎ発見!』にしても、重延さんがメインで作っておられた頃は多分一度も見ていない。
その他、この本の中で数多く紹介されている美術に関するドキュメンタリやクラシック音楽のコンサートや番組などは、僕の趣味からは少し外れており、その高尚さは僕にとっては正直少しウザいものである。僕はもう少しポップでジャンクで下世話なものが好きだ。
そういうわけで僕は彼のテレビマンとしての作品はほとんど見ずに来たのである。テレビ以外の作品ではコ・フェスタの一環でやられた「劇的3時間SHOW」を2009年と2010年に観て、これはもうべらぼうに面白かったが…。
そういうわけで、僕はこの本に書かれているような、重延浩のテレビマンとしての輝かしい歴史を全然知らなかったのである。この本で、この人は若い頃から、そして社長になってからも、これだけのことを考えてこれほどの苦労をして、こんなにたくさん、こんなに評価の高い番組を作っていたのか、と驚いたのである。
それは下手すると老テレビマンの単なる自慢話になってしまう類の話なのだが、そうならないのは、これらの事象が今日まで築き上げられてきた重延理論の証左となり、裏付けとなり、エピソードとなり新たなトリガーとなってきたからである。だから読んでいてこんなに面白いのである。
僕は30代の初めに重延さんの文章を読み始めて、こんな風に「理論構築を仕事に活かす」と言うか、「仕事をしながら理論を構築し、その理論に基づいて次の仕事の段階に進む」というような仕事の仕方があったんだ!というか、そんな風に仕事をしていいんだ!と驚いたのである。
そして、彼の観察眼の公平さと冷徹さ、思索の深さと確かさ、未来を見透す姿勢のゆるぎなさに影響を受け、感銘を受けた号のテレビマンユニオンニュースをスクラップし、自分がテレビやメディアを考えるときの材料にさせてもらっている。
今自分もサラリーマン晩年に入り、僕らのようなテレビ局という、ものづくりをしている会社のあり方は今のままで果たして良いのかと大いに悩み苦しむ部分がある。そんな中で、テレビマンユニオンが創設以来掲げてきたポリシーや守ってきたルール、そして、変わり続けてきたそのダイナミズムこそが、僕らの組織にとっても大いなるヒントになるのではないかと考えている。
テレビに関係した職業の人にとっては、これほど刺激的な書物はない。『お前はただの現在にすぎない』をまだ読んでいない人は、それを先に読んでからこの本を読めば良いと思う。
この本の結論である「テレビは状況である」ということ、そして、「デジタル・ヒューマニズム」という表現は結局のところ(読んでいる我々のほうは)一知半解のまま置き去りにされた感もある。
だが、それは重延さんが僕らに与えてくれた命題であると解釈すべきものなのである。それが「現在」であり、「状況」の意味するところなのである。
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