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Sunday, March 30, 2014

映画『白ゆき姫殺人事件』

【3月30日特記】 映画『白ゆき姫殺人事件』を観てきた。ずっと贔屓にしている中村義洋監督である。

原作者の湊かなえのほうは、『告白』を読んで、物語も文章もあまりに薄っぺらいのに嫌悪感を抱いたので以来全く読んでいない。

しかし、『告白』にしても『夜行観覧車』にしても、一流の監督と脚本家の手にかかると見事に素晴らしいドラマになっている。1作しか読んでいないのでもちろん断定はしないが、僕は原作が薄っぺらい分、自由に脚色し演出する余地が大きいのではないかと想像している。

今回の脚本は中村監督とも何度か組んでいる林民夫で、設定としては『赤毛のアン』に絡んだ一連のエピソードが映画オリジナルだと言う。この設定が秀逸なのである。

こういう設定を付け加えたことが、どれほど物語の味わいを深めたかを考えると、やはり脚色というものの比重は非常に大きい。

「白ゆき石鹸」で有名な日の出化粧品に勤務する美人OL三木典子(菜々緒)が殺された。鋭利な刃物で何度も刺された(ちなみに、そのことを映画では「メッタ刺し」と言っているが、これは「メッタ斬り」の勝手なアレンジなので、放送では使わないようにしている表現である)上に燃料をかけて燃やされるという残忍な殺され方であった。

その直後から姿を消している同僚の目立たないOL城野美姫(井上真央)が疑われる。その話をワイドショーの契約ディレクター・赤星雄治(綾野剛)に垂れ込んだのは、赤星の大学時代の友人で、典子や美姫の同僚の狩野里沙子(蓮佛美沙子)である。

このきれいな女優(蓮佛美沙子)が、今回は自分でもきっと嫌だったんじゃないかなと思うくらい、ダサダサのブスになっていたから驚いた。

さて、殺人事件のほうは、大方の観客が予想するようにそのまますんなり美姫の「怨恨による単独犯」という形では決着しない。当然どんでん返しがある。そのどんでん返しの裏側に、したり顔でほくそ笑む湊かなえの顔が透けて見えるような気がして、僕はまた少し嫌な気分になったのであるが、まあ、ある種の叙述トリックである。

これ以上書くとネタバレになってしまうので、この辺にしておくが、この映画は赤星が取材するいろいろな人たちの証言を基に構成されている。同じ場面を語らせても人によって微妙に変わるところが面白く、そういう微妙な違いを井上真央や金子ノブアキらの俳優が見事に演じ分けているところが味噌である。

綾野剛のDQNな感じが見事である。彼自身が撮っている取材カメラのアップの映像の中に、投げやりと切迫感が入り交じっている印象がある。

そして、これは原作にもふんだんに取り入れられていたそうだが、twitter の使い方が巧い。如何にもありそうな呟きであり、メンションでありRTであり、そして、そこから炎上へと向かう展開である。

アバンタイトルで呟かれた twitter の文字列がタイトルに変わるオープニングも粋なアイデアだった。

そして、林民夫がこの物語に新たに吹き込んだ前述の設定が、結末を非常に後味の良いものに変えている。あっぱれだと思った。

今回のパンフレットには、中村義洋監督がどのような言い方で役者の演技を引き出しているかが、出演者の証言としていくつか載っており、とても興味深かった。

やっぱりこの監督は職人である。

この映画を「社会の闇を暴く」みたいな大仰な捉え方をする人もいるのだろうけれど、僕は中村監督のお陰で「人間って馬鹿だなあ」みたいな少しライトな感じになったと思う。そして、そういう仕上がりになっている所こそが、この監督の真骨頂なのだと思う。

「自分は悪くない。社会が悪いんだ」みたいな変な結論に導かないためにも、やはり描いておくべきは人間なのである。中村義洋には人間を見る眼と、人間に対するある種楽天的な愛情がある。

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