『ナイン・ストーリーズ』佐藤友哉(書評)
【2月19日特記】 僕はこの佐藤友哉という人を全く知らなかった。しかし、このタイトルと、それぞれの章題を目にして買わないサリンジャー・ファンはいないだろう。
何を読んでもすぐに、どんな本であったかはおろか、読んだということさえ忘れてしまう僕だ。しかも僕がJ・D・サリンジャーの『ナイン・ストーリーズ』を読んだのは30年以上前である。ただ、僕はこの本を2度読んでいる──原文と、野崎孝訳とで。だから、結構憶えている。そして、ここまでやってくれると、間違いなくサリンジャーが甦ってくる。
原作とは微妙に違うものを書いて、見事にサリンジャーを再現しているのを見ると、この作家は一体何者だろうと思う。結構書ける人であるのは間違いない。これはまさに変奏曲である。
登場人物的に見ると、佐藤の創作はグラス・サーガ寄りになっていて、「グラス」をもじった「鏡」家のメンバーがやたらと出て来る。ひょっとしてサリンジャーの『ナイン・ストーリーズ』もそうだったような錯覚に陥るのだが、両編を突き合わせてみると、サリンジャーの9つの短編の登場人物はこれほど繋がってはおらず、これは佐藤のサリンジャー・ファンへのサービスであることが分かる。
最初に目にとまるのはひねり方の粋さである。
バナナフィッシュがチェリーフィッシュになり、笑い男が憂い男になる。「エズミに捧ぐ」が「ナオミに捧ぐ」に変わり、「愛らしき口もと目は緑」が「愛らしき目もと口は緑」に入れ替えられる。そんな風にふざけているみたいに見える中で、サリンジャーの書いたヨショト氏は、ちゃんと日本人らしい名前であるヨシモト氏に手直しされている。
細かいところでは、「コードウェイナー・スミスの青の時代」に出て来る、主人公が聞いたこともない作家ダグラス・ハートフィールドは、言うまでもなく村上春樹の『風の歌を聴け』に出て来る架空の作家デレク・ハートフィールドを踏まえている。──却々芸が細かい。この本はそういうことに気づく人のための本である。
そして、佐藤の筆によって、アメリカ人が日本人になり、絵画の学校が小説のスクールになり、男の子が女の子のストーリーに作り替えられる。しかし、「エズミに捧ぐ」だけは軍隊の話だから、これをどうやって現代の日本の話に作り変えるのだろう?少し無理があるのではないかと思っていたら、これが見事に秘密組織の「襲撃」の話に再生されている。確かに多少無理はあるが(笑)、話としてはすんなり読める。
そうやって読んで行くと、作者は決して原作の中のいくつかの要素を1対1で置き換えているのではないことが分かる。
サリンジャーの『ナイン・ストーリーズ』で僕が一番好きなのは「笑い男」The Laughing Man なのだけれど、これは単に設定が現代の日本に置き換えられていたり、笑いが憂いに変わっていたりするだけではない。似たような登場人物の似たような話なのだが、ストーリー展開は微妙に異なるのである。
しかし、不思議なことに、佐藤友哉は違う話を書いてサリンジャーと同じものを僕らに伝えてくるのである。
そして、途中ではたと気づいたのだが、この手のものを読むと、僕らはついつい何が何に置き換わっているかに目が行ってしまうのだが、ポイントはそこではないのである。彼が何を切り取って何に置き換えたかが重要なのではなく、彼が何を置き換えていないかが重要なのである。
ここまで来ると、これは文学というより、パロディというより、ある種の「芸」である。そして、芸の高みに達した芸であると言って良いと思う。
もちろんサリンジャーの『ナイン・ストーリーズ』を読んでいない人が読むべき本ではない。何のことだかさっぱり分からないはずである。
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