疲れる?
【2月17日特記】 前にも書いたことがあるかもしれないが、人混みは疲れると言う人がいる──これが僕にはさっぱり解らない。
もちろん、体が密着するくらい混み合っている場合は不快感がある。しかし、それ以外の不快感を僕は想像ができない。
人混みの一人ひとりが次から次へと僕に話しかけてくるというのであれば、それは途轍もなく疲れるだろう。しかし、知らん顔して周囲を歩いているのであれば、僕は全然気にならない。
大勢の中でも楽に独りになれる。それが都会の人混みのありがたさである。
同じように(というまとめ方が適切かどうかは分からないが)、「ソーシャル疲れ」というのも僕にはよく理解できない。なんで疲れるんだろ?
twitter にしても facebook にしても流すメディアである。流しておけば良いと思うのだが?
「何か書かなければ」という思いも、「ちゃんと読んで反応してあげなければ」という心懸けもない。「リプが全然来なかったり、“いいね!”が全くつかなかったらどうしよう」なんて心配もしていない。
と言うか、“いいね!”なんてそんなにつくわけがないと思っている。
ソーシャル・メディアをやっていて面白いのは狙い通りに多くの人に RT されたり“いいね!”がつくことではない。たまに、思いもかけない粒や記事に、思いもしなかったほど大きな反応があるところなのである。
だから、自然に構えていれば良い。書くことを思いつかないなら書かないだけのこと。
他人が書いたものに対する気遣いもそんなにしていない。面と向かって「読んでくれてないの?」と言われたこともあるが、「はい、読んでませんけど、何か?」という以外の答え方が思いつかない。
そんなことで友だちを失わないかと言う人もいるが、そんなことで失われてしまうようならそもそも友だちではないので、元に戻るだけのことである。
ただ、仕事がらみのアカウントやページを運営していると、そこには時々剥き出しの敵意や(なんでそうなるのか解らないのだが)誇らしげな悪意をぶつけてくる人がいる。
まあ、覚悟はしているが、それがひと時に何人も重なると、さすがにめげる。いや、めげるとか凹むとか言うよりも(もちろんそういう面もあるのだが)、どちらかと言えば「当惑する」という感じ。
でも、そういうことのお陰で、世界は一様ではないことを折に触れて意識させてもらう。ありがたいことだ、とまあ、一応は言っておこう(笑)
うん、ストレスはあるんだよね。少しはあったほうが良いからね。でも、疲れるという感覚は、結局のところ僕には分からないのである。
Comments