映画『ニシノユキヒコの恋と冒険』
【2月11日特記】 映画『ニシノユキヒコの恋と冒険』を観てきた。
原作は川上弘美の同名の小説。僕は彼女の作品は割合読んでいるほうだが、これは読んでいない。この本が出た時の記憶も珍しくあって、つまりこれは意図してパスした小説である。
それを気を取り直して観た、というわけではなくて、井口奈己監督だから観たのである。前作『人のセックスを笑うな』がとても良かったので、次の作品も絶対に見逃すまいと待ち構えていた作品である。
ルックスもよく、仕事もでき、セックスもよく、女には一も二もなく優しく、懲りることを知らないニシノユキヒコ。稀代のモテ男だが、最後には必ず女性の方から彼の元を去ってしまう。
──そういう色男ニシノユキヒコに扮したのは竹野内豊である。90年代半ばに彼が俳優デビューした時、僕は「世の中にこれほどカッコイイ男がいたのか!」と思わず嘆息した記憶がある。
あれから20年経って、さすがの竹野内もややシャープさを失ってきたが、それでもバリバリにカッコイイ、ニシノユキヒコ役には打ってつけの俳優である。
ただ、今回の竹野内は明らかに今まで演じてきたような感じでは演じていない。何と言うか、従来のピリッとした感じがないのである。僕が彼のこの映画最初の台詞を聞いて思ったことは、窪塚洋介みたいな喋り方ではないか!ということだった。
そう、あんな感じの、少しアンニュイな、無関心を装った、でも甘えた感じも含んだ、少しくせのある喋り方。──うむ、今回は明らかに役を作り込んできたな、という感じ。
そこに女性が山ほど絡んでくるのだろうと予測していたのであるが、映画では人数を絞った上に、描き方に濃淡をつけている。これが非常にうまく行ったと思う。
で、その中でも、ニシノの3歳上の上司マナミを演じた尾野真千子の巧さがずば抜けている。特に自分のデスクに戻ってから、先ほどのニシノとのことを思い出して表情が緩んでくるところなんか、他の女優には到底こんな風には演じられないだろう。
そして、ルージュを引き直す辺りまでは僕らでも考えつくのだが、洋服の上からブラの位置を直すなんて所作はさすがに女性の監督である。男性には想像のつかないシーンである。
前作に引き続いて、カメラは大部分が固定の長廻し。あまり脚本にこだわらず自由に演じさせたらしいのだが、これが功を奏して役者の素を見事に引き出している。オフィスでのニシノとマナミがいちゃつくシーン(ここはほんの少しだけカメラが動く)の何となまめかしいことか!
また、特にすごかったのが、とあるセックスシーンで、絡む人間2人を全く撮らず、ノイズだけは活かしながら、ずっと飼い猫の姿をアップにしていたこと。
猫のアップでセックスを表現し切ってしまうなんて、べらぼうな技である。ま、この猫が非常に演技が巧かったということもあるが(笑)
そして、今回もまたトンビやら風鈴やら猫やら蜘蛛の巣やら、あるいは葬式の楽隊のリズムの緩んだ演奏やら、随所で挿入されるカットが微妙に長く、なかなか次のシーンに移らない。こういう撮り方が何とも言えないリズムを産んでいる。
監督本人も書いているように、起伏のある景色が好きで、非常に奥行きの深い、綺麗な構図が次々と現れる。
若い子も年増も一様に虜にしてしまうという設定で、いろんなタイプの女性が出て来るのが面白いのだが、隣家のレズ・カップル(多分)ともそれぞれ怪しい関係になっちゃうっていうのは却々ひねった設定だと感心した(笑)
こういう男のリアリティというのはよく分からないが、気持ちの良い人物の気持ちの良いドラマである。映像表現として、こういうのはアリじゃないかな。期待通りの作品だった。
ただ、映画館で僕の隣に座っていた初老の夫婦の奥さんのほう(上映中も大きな声でべらべら喋ってうるさかった)は、映画が終わった瞬間に、「よう、まあ、こんなしょーむない映画作ったなあ」と猛烈に毒づいていた。
そう、これは筋だけを追っている客には何も伝わらない映画なのだろう。井口奈己監督の前途は依然多難である。
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