« 映画『バックコーラスの歌姫たち』 | Main | 映画『ジャッジ!』 »

Thursday, January 30, 2014

『明日、ママがいない』考

【1月30日特記】 慈恵病院がクレームをつけて以来、NTVのドラマ『明日、ママがいない』が大きな騒ぎになっている。

如何せん、僕はそのドラマを一度も観ていないので、中味の詳細については何も言えない。

ただ、僕も放送局に勤める人間のひとりとして、一般論としては「ドラマなんだから、フィクションなんだから、そんなに縛られても困る」と感じているのも確かだし、「最後まで観てから批判してほしい」という制作者の気持ちも充分理解できる。

ただ、今日ネット上でいろんな記事を読んでいるうちに、少し考えが変わってきた。

実際に過去にいじめに遭ってきた人が、『明日、ママがいない』を観たために過去の記憶が“フラッシュバック”してきて、過呼吸に陥ったり、気を失ったり、あるいはリストカットに走ってしまったという例が現実に出ているという。

そうなってくると、「ドラマなんだから」というひと言では却々済ませにくくなってくる。

「そんなことになるんなら、観なきゃいいじゃないか」というのはある意味正論なのだけれど、いじめられた経験があるからこそ気になって観てしまうのだそうだ。そう言われると、正直俄に対応は悩ましくなってくる。

結局のところ、(分かりやすくするために、めちゃくちゃ乱暴に話を単純化して言うが)もうこれからはテレビドラマに野島伸司という脚本家を起用することはできないということなのではないだろうか。

いや、もちろん野島伸司が今までとコロッと毛色の変わったドラマを書けば話は別なのだが、僕らの知っている野島伸司のままであれば、もう彼にテレビのドラマを書かせることができない時代になったのではないかという気がする。

好き嫌いは別として(現に僕はそれほど好きな脚本家ではない)、野島伸司は今までに、結構とんがった、視聴者を引きずり回して目を離させない、ある意味優秀な脚本を何本も書いてきた人だ。

しかし、時代が少しずつ変わってきて、もうそのままの野島伸司では書いたものを画面に出せなくなってきたということなのではないだろうか?

いや、野島伸司を失業させようというのではない。野島伸司に頼むのであれば、それは映画とかPPV配信とか、そういう形で作品を出すことを考えるべきだ、ということである。

表現の自由は、もちろん、何としても確保しなければならない。しかし、もしも他の場で確保することができるのであれば、テレビの画面で見せなくても良いのではないか、そんな気がしてきたのである。

テレビはずっとそういう時代の規制に従って、中味を変えてきた歴史がある。

例を上げれば、サスペンスドラマから殺人が消えてなくなることは決してない一方で、どんな悪党や不良のキャラでも、ドラマの中でタバコのポイ捨てをすることはほとんどなくなってきたではないか。

僕が書いていることは(テレビの関係者であるかどうかに関わりなく)、多分みんなに支持される考え方ではないと思う。同意してくれる人もいれば、「いや、それは違う」という人もいるだろう。

ただ、それは単にこのドラマだけの問題として終わらせるのではなく、もう少し時間を掛けてみんなで考えて行けば良いと思う。

しかし、このドラマ個別の問題としては、放送打ち切りという形にするのは、僕は反対である。

NTVとしては、「そういう発作を起こしそうな方は、まことに恐縮ですが、ご覧にならないようにしてください。そして、そうでない方は、できれば最終回まで観ていただいた上で、ご意見をお寄せいただけないでしょうか」と真摯にお願いするしかないのではないだろうか?

ただ、最初はわりと単純に「ドラマなんだから」と思っていた僕が、上に書いたように少し心変わりしてきたということを、今日は書き留めておこうと思った次第である。

テレビの表現環境は年を追うごとに窮屈になってきたのも確かだが、テレビがそれに耐えてずっとやってきたのもまた事実なのである。

|

« 映画『バックコーラスの歌姫たち』 | Main | 映画『ジャッジ!』 »

Comments

私は、そのようなテロップで個人の視聴への注意喚起では済まない段階だと考えます。クラスの中の一人に対するいじめが、こどもの世界で全国的な少数者に対する蔑視につながる危険性を感じます。子役の必要な企画であり、ベストに近い出演者を配した時点で、このドラマの録画によるこどもへの広がりは確定します。制作者の頭に「同情するなら金をくれ!」が日本を席巻したことを追いかけようとした思いがあるのは当然ですが、そこで日本に一か所だけにしか存在しない赤ちゃんポストという設定をとりあげるのは、作家、プロデューサーの思慮の不足です。個人的には、何本かのこどもを対象にした番組では細心の注意をはらってきたつもりです。

Posted by: hikomal | Friday, January 31, 2014 at 05:30

> hikomal さん

おっしゃることよく判ります。あと、自分で読み返して思うのは、自分に子供がいないせいもあるけれど、僕が上で書いた文章には子供に対する視点が完全に抜けていますね。そこは考えなければならない点だと思います。

ただ、ひとつだけ、僕が「真摯にお願いするしかない」と書いたのはテロップ1枚出せば良いというつもりではありません。むしろ、(それもやったほうが良いでしょうが)番組内でのテロップというのは念頭にありませんでした。当番組以外の、そして、放送以外の場や媒体での大展開をイメージして「真摯な」という表現を使ったので、(それでも充分かどうかという議論は別として)その点はご理解ください。

今日の朝刊によると、NTVはこれから収録する分については内容改善を図るとのこと。これも当然なのでしょうし、「遅すぎる」「対応が甘い」という批判も出るでしょうが、やるべきことのうちのひとつをやっているという評価はしたいと思います。

Posted by: yama_eigh | Friday, January 31, 2014 at 09:15

{このドラマはフィクションです
 実在の人物や団体とは関係ありません}で
いいのではとどうしても思ってしまいます。
こんなドラマでヘタルようでは生き抜けません。
いろんなことで自分自身が気にしている部分、
結局、それは自分が自分をまず貶めているわけで
だからこそ、そこを弄られてしまう。
日本人の今の精神構造は
温室培養であり過ぎます。
良い意味の鈍感さと
反骨が必要だと思いました。

Posted by: 蒸しパン | Friday, January 31, 2014 at 21:59

> 蒸しパンさん

難しいですね。いや、お書きになっていることは全く分からないでもないのです。

僕自身も、おっしゃるように、日本人が弱くなってしまったということは痛烈に感じています。自分自身も含めて、昔の日本人はこんなにヤワじゃなかったぞ、という思いもあります。

ただ、それはそれとして、じゃあ「弱いアンタが悪い」と言えるのかどうか、仮にそれが正論であったとしても、相手が子供だったらどうなのか、それをテレビという媒体で言ってしまって良いのか──いろいろ考えれば考えるほど自信がなくなってきます。

いずれにしてもみんなでもう少し議論を煮詰めて行く必要があると思います。

書き込みありがとうございました。

Posted by: yama_eigh | Friday, January 31, 2014 at 23:24

Post a comment



(Not displayed with comment.)


Comments are moderated, and will not appear on this weblog until the author has approved them.



TrackBack

TrackBack URL for this entry:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/110115/59040041

Listed below are links to weblogs that reference 『明日、ママがいない』考:

« 映画『バックコーラスの歌姫たち』 | Main | 映画『ジャッジ!』 »