『テレビは生き残れるのか』境治(書評)
【1月16日特記】 ひとつ残念だったのは、てっきりもっと新しい本だと思って読み始めたのだが、途中で2011年7月に出た本だと気がついたこと。
まだ新しいではないか、と思う人もいるかもしれないが、この世界、1年あればいろいろ新しいものが出てきて、定着するものは定着し消えるものは消え、いろんな新しいことが見えてくる。だから、今ではこの本は最新の情報とは言えないのである。
それに加えて、僕がテレビ局に勤めていて、しかも境氏と同じようにテレビとネットの境界付近で仕事をしていることも大きな理由なのだが、残念ながら僕が読むと新奇な情報がないのであった。
読んでいて、「へえ、そうなのか」とか「なるほど、その通りだ」と思うのが、ある意味こういう本を読む意味合いなのだが、僕にはそういう働きかけがほとんどないのである。
しかし、じゃあ無意味な本かといえばそうではない。少なくとも好感の持てる本である。
テレビ局で働いている人間から見ると、時々訂正したくなる箇所があるのは確かだが、しかし、それは枝葉の部分である。本筋は非常に的確にまとめてある。
目新しい指摘は少ないが、それでも iPad を携帯端末である iPhone のリビング・ルームへの進出と捉える見方や、何かと「総」を目指して培ってきたテレビのノウハウからミドルメディアへの転換を説く辺りは非常に説得力がある。
そして、何よりも極論を展開していないところが良い。少し思い切って単純化して見せた後には、「しかし現実にはそれほど単純ではない」というような但し書きが必ずついている。だから、論の展開がフェアになるのである。
この本が書かれた時点では著者の予言でしかなかったことが、この2年以上の月日にある部分検証できてしまったわけだが、概ね著者が書いている方向にメディアの世界は進みつつあるのではないだろうか。
もちろん、境氏が指摘した通りになかなかならない点もある。しかし、それは境氏が何かを見誤ったからではない。いや、見誤ったのかもしれないが、簡単に運ばない原因が何かあるからそうはならなかったのである。境氏が悪いのではなく、何かが現実を躓かせたのである。
この本を読んだ僕らがやることは、境氏の間違いをあげつらうことではなく、何がそれを躓かせたのかを見つけ出して、ひとつひとつそれを取り除いて行く作業ではないだろうか。
境氏は元々コピーライターとして広告を作っていた人である。だから、物作りをしている人間に対する温かい眼差しがある。ある種テレビマンも同じようなメンタリティで走ってきた人たちである。
近年、時代と環境が厳しくなり、昔みたいに大らかには行かず、効率をちゃんと見極めなければ会社が潰れそうなところまで来てしまった。しかし、効率一辺倒では何も新しい価値は生まれないよ──というのが、著者の主旨ではないだろうか。
この本に新しさを感じないのに魅力を感じるのはそういうところなのではないかと、僕は思っている。
Comments
こんにちは。この本書いた人です。なんかすいません、新しい本と誤解されちゃって。おっしゃる通り、内容がもう古びちゃってて。
でも作り手の気持ちで共感してもらえたみたいでうれしいです!
ぼくもブログ書いてるので、時々読んでください!本の続きみたいなことも書いてます!
http://sakaiosamu.com/
Posted by: 境 治 | Wednesday, February 05, 2014 20:32
> 境治さん
わざわざこんなところにまでコメントしていただいて恐縮です。
はい、ブログ、BLOGOS 含めて、ネット上にお書きになっていることは折にふれて読ませていただいております。ありがとうございました。
Posted by: yama_eigh | Wednesday, February 05, 2014 23:24