« 今度は大瀧詠一の訃報に | Main | 『未明の闘争』保坂和志(書評) »

Wednesday, January 01, 2014

暦は巡る

【1月1日特記】 10代というのは誰しも少し背伸びをしたり悪ぶったりしたい年代ですが、私が高校の時に、不良と言われていた友人がこんなことを言っていました(これは後ほどリンクを示しますが、以前にも書いたネタです)。

煙草を吸っているのを警官に見つかった時の練習をしておく必要がある。

「おい、お前何歳だ?」
「はたちです」
「職業は?」
「工員です」
「干支(えと)は何年(なにどし)だ?」
「えっ、えと? 干支ですか、えーっと、ねぇうしとらうぅ…」

となったらバレバレなので、3つずらした干支を覚えておくこと。

なるほどなあ、と思いました。

昔の人はそんなことなかったのかもしれませんが、僕らの世代にして既に、十二支で例えば「未の次は何?」「申の2つ前は?」などと言われると咄嗟に答えられず、下手すると頭から言わないと分かりませんでした。

今の若者になると、もう十二支自体を知らない人もいると聞きました。

子丑寅卯辰巳午未申酉戌亥
(ね・うし・とら・う・たつ・み・うま・ひつじ・さる・とり・いぬ・い)

こうやって並んでいるとちゃんと読めても、1字だけ抜いて「戌は何と読む?」と訊かれた時に、あなたは即時に答えられますか?

また若い人は「子」の字を見て、ネズミには思い及ばないでしょう。十二支を一般的な漢字に改めるとこんな風でしょうか?

鼠牛虎兎龍蛇馬羊猿鶏犬猪

全部違う漢字になってしまうところが凄いと思いませんか? つまり十二支というのは最初に漢字があって、後からそこに動物を割り当てて行ったということだと思います。

ところで、十二支は年だけではなく、日にも割り当てられています。例えば「土用の丑の日」などというのはそれに基いています。

そして、十二支は時間にも割り当てられています。江戸時代にはその方法で時刻を表していました。24時間を12で割るので、ひとつにつき2時間になります。

子が午前0時を中心とする2時間(前日の午後11時~午前1時)、そこから数えて7つめ(つまり子の刻の12時間後)の区分が午。午の刻のちょうど真ん中の時刻(12時)を「正午」と言っていました。

さらに、その2時間を30分ずつに4等分して「一つ、二つ、三つ」と数えていたようで、「草木も眠る丑三つ時」とは、丑の刻(午前1時~3時)の三つ目である午前2時~2時半ということになります。

ちなみに、時代劇や古典落語などで耳にする「明け六つ」とか「暮六つ」とかいうのは全く別のルールによる数え方のようです。

また、十二支は方角にも適用されています。子が北、卯が東、午が南、酉が西。「子午線」という言い方はここから来ています。

ところで、これは360度を12で割るのでひとつにつき30度です。ということは、90度は表せても、45度が表せない、つまり北北東(丑)や東北東(寅)は表せても北東を1字で表すことができないのです。

仕方なく北東は丑寅、南東は辰巳、南西は午未、北西は戌亥と、2字の組み合わせで表現することにしました。そして、午未を除く3つについては「艮」「巽」「乾」という漢字1字で表せるようにしました。

面白いですよね。

さて、「えと」が漢字で「干支」であることから分かるように、十二支の他に十干というものがあります。

甲乙丙丁戊己庚辛壬癸

甲乙丙丁までは読めても、その先が読めない人が多いです。今これを読みながら「え? その先あったの?」と思っている方もおられるのではないでしょうか?

(こう・おつ・へい・てい・ぼ・き・こう・しん・じん・き)

です。これは陰陽五行の説と繋がっています。

世界を構成する5大要素である木火土金水(もく・か・ど・こん・すい)に陰陽の2つを掛けたものが十干です。陰陽については陽が「え(兄)」、陰が「と(弟)」となります。

従って、甲は木の兄なので「きのえ」、乙は木の弟なので「きのと」、丙は火の兄で「ひのえ」、丁は「ひのと」、戊は「つちのえ」…、というのがそれぞれの字の訓読みになっています。

ちなみに「金」は「か」と読ませ、庚は「かのえ」、辛は「かのと」になります。さすがに我々の年でも十干の1字だけを見て正しく訓読みできる人はほとんどないのではないでしょうか。

私も、えっと、己は6番目だから木兄、木弟、火兄、火弟、土兄、土弟で「つちのと」か、という感じです。

十干は十二支と同じように年に割り当てられています。「丙午(ひのえうま)の年」などというのはその2つを組合せて言ったものです。辛亥(しんがい)革命というのは辛亥(かのとい)の年に中国で起きた革命です。

十干は10年で一周します。十二支は12年で一周します。従って十干十二支の組合せは10と12の最小公倍数である60年で一周します。つまり、甲子(きのえね)の年の61年後にはまた甲子の年が巡ってくるのです。

そのことを人間の年齢に当てはめて祝うのが「還暦」です(この辺については、以前ホームページのほうに書いた「漢字謎掛け」という文章をご参照ください)。

ところで上の例でお判りのように、甲子園という地名は十干十二支の一番最初である「甲子」に因んだものです。甲子園球場は実際「甲子」の年である1924年に開場しています。

ちなみに、今年2014年は「甲午(きのえうま)」の年です。

61年後にまたお会いしましょう。

(この文章は2004年にホームページに書いた「えーっと」という文章とほぼ同じ内容のことを、もう少し拡充して今年の初め用に書きなおしたものです)

|

« 今度は大瀧詠一の訃報に | Main | 『未明の闘争』保坂和志(書評) »

Comments

Post a comment



(Not displayed with comment.)


Comments are moderated, and will not appear on this weblog until the author has approved them.



TrackBack


Listed below are links to weblogs that reference 暦は巡る:

« 今度は大瀧詠一の訃報に | Main | 『未明の闘争』保坂和志(書評) »