ふと思い出した落語の話
【12月3日特記】 僕は子供の頃、創作落語をやる噺家を軽蔑していた。
別に古典落語のファンだったわけではない。
当時タレントとしてラジオやテレビに出ていた若手落語家は、大人たちにはあまり好意的には受け止められてはおらず、芸人ではなく芸のない「芸No人」であるなどと揶揄されていた。
僕もその大人たちの物言いを真似ただけかもしれない。
いずれにしても、古典落語のほうが習得するのは困難だというイメージがあって、創作落語なんぞをやっている落語家は、稽古もしていなくて古典ができないものだから、安易なお笑いに逃げているのだと思っていた。
それが、あれはもう15~16年前だろうか、仕事がらみで桂三枝(現・文枝)さんの創作落語の会を観に行って、あまりの面白さに自分の思い込みを恥じた記憶がある。
ああ、この人は創作落語をここまでの高みに持ち上げたのだ、と脱帽した。
しかし、それをきっかけに僕は創作落語が大好きになり、今ではしょっちゅう高座を聴きに行くようになった、というような話ではない。
それどころか、古典も含めて、それ以来僕は落語を聴きに行ったことは一度もない。
いや、それで良いのである。
面白いものを全部楽しめるほど、人生は時間が豊富ではない。僕には他にも好きなものがいっぱいあって、創作も古典も含めて落語というのは僕にとってそれほど優先度の高いものではない。
でも、偏見というのはあまり詳しくないジャンルで育つものなのである。だから、逆に、そういうものに対しての誤解が解けたことが、我ながらラッキーでハッピーだと思っている。
他にも、同じように自分が明るくないジャンルに対して何となく持っていた偏見が、何かのきっかけで消えるという経験を何度かしてきた。長いこと生きてみるもんだな、と思う。
決してそれにのめりこむまでに至らなくても、そういう経験って貴重な経験だと思う。
そして今、もしも「創作落語なんて」と言っている人が周りにいたら、「いや、俺もいっぺんしか観たことないけど、結構面白いよ」などと言ってあげられるであろう自分を、ちょっと嬉しく思うのである。
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