山田さんは良い人
【12月14日特記】 マンションなどで先にエレベータに乗り込んでドアを開けて待っていてくれる人がいる。
乗り込もうとしている姿が目に見えているのであれば不思議はないのだが、例えばエレベータの前から廊下を1回曲がった集合郵便受けのあたりに僕がいて、エレベータの中からは見えないにもかかわらず、「開」ボタンを押して待っていてくれる人がいる。
僕はこれはやらない。ポリシーとして、と言うか、納得が行かないので決してやらない。けれど世の中にはこういうことをする人がいる。うちのマンションにもいる。
名前がないと語り辛いので、仮にその人を山田さんとしよう。
山田さんと一緒のエレベータで1階に降りて、新聞や郵便を取っていて、もしも山田さんのほうが先にエレベータに乗り込んだら、山田さんは必ず、何も言わずに「開」を押して待っていてくれる。
山田さんはとても良い人である。しかし、じゃあ、そういうことをやらない僕は悪い人なのか、と考えるとあまり気分は良くない。
いや、エレベータで待ってくれるから山田さんは良い人なのではなく、まあ、このマンションにもお互い10年以上住んでいるから知っているのだが、それ以外にもいろんなことで山田さんはとっても良い人なのである。
その良い人である山田さんがエレベータで待ってくれるのに、僕が待たないので、やっぱり僕は悪い人であるみたいで、どうもすっきりしない。
僕がそれをやらないのは、その人がすぐにもう一度エレベータに乗るという確証がないからである。
同じタイミングで同じマンションに帰ってきた人であっても、その人は1階の住人かもしれない。あるいは山田さんのようにどの階の住人か僕が知っているとしても、その人はひょっとするといつも階段を上がっている人かもしれない。
あるいは今日に限って気が向いて階段を登るかもしれない。
外から帰ってきて郵便受けを見て夕刊を取った後、宅配便の不在配達届けがあるのを見つけてエントランスの宅配ボックスに戻るかもしれない。
一緒に上から降りてきて郵便受けを見ていたとしても、その後そのまま散歩に行くのかもしれない。ゴミ捨て場に行くのかもしれないし、地下駐車場に用事があるのかもしれないし、他の部屋を訪ねるのかもしれない。
それだけ多くの可能性があるのに「開」ボタンを押したままずっと待つという行為を僕はしない。
もちろん自分の数歩後をエレベータに向かって歩いてくる人がいるのであれば、僕だって「開」を押して待つ。しかし、そこから見えない人を待つことはしない。
一番正しいやり方は、エレベータの中から「上がりますか?」と訊くことである。
しかし、さすがに山田さんもこれはやらない。なぜなら、そんなことをしてしまうと、それはまるで「俺はドアを開けて待ってやっているんだぞ」と言わんがばかりの押し付けがましい印象を与えかねないからだ。
僕はそんなことをあれこれ考えて「開」ボタンを押さない。
しかし、後から来た人の足音や気配に耳を澄ませて、これからエレベータに乗りそうかどうかについては結構神経を尖らせている。姿が見えたらすぐに「開」ボタンが押せる位置に右手をスタンバイしていることもある。
僕としては姿が見えないうちに「開」ボタンを押すことにどうしても納得が行かないのである。
僕は子供の頃からいろんなことをあれこれウジウジ考える少年だった。あまりにいろんなことを考えて、もはやどうして良いか解らなくなって、逆に、もういいや、と全てを放棄してしまうことも少なくなかった。
僕が小さい頃から無愛想だと言われ続けてきた原因の一部(全てではない)はそういうところにもあるということに気づいている人はいないと思うが。
社会人になってすぐに悩んだのは酒席での酌。
もう注いで良いタイミングなのだろうか?
たまにいる注ぎ足しを嫌う人ではないだろうか?
こんなに頻繁に酌をするとつまらないゴマすり野郎だと思われないか?
そんな可能性が何十も脳裏に浮かんで、あー面倒臭い、もう放っておこう、なんて感じである。
そんな短時間にそんなにたくさんのことを考えて、そんな短時間に嫌になってしまうのか?と言われるとその通りである。
ことばで書くと長くなるので、考えるのに時間がかかるように思うかもしれないが、一言一句言語化しながら考えているわけではないので、一瞬の思索である。
というわけで、山ほどある可能性の中から、この人は今から自分と同じエレベータに乗るという当て推量に従って「開」ボタンを押すことを、僕は潔しとしない。
でも、いつも「開」ボタンを押して待っていてくれる山田さんは、やっぱり良い人なのである。
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