今度は大瀧詠一の訃報に
【12月31日特記】 先日かしぶち哲郎が亡くなったかと思ったら、今日は大瀧詠一の訃報である。これはかしぶちの時に引用すべきであったかもしれないが、まさに、
物は壊れる、人は死ぬ 三つ数えて、眼をつぶれ
である。
今日の twitter の僕のTLでは『A LONG VACATION』以降の作品、あるいは『風立ちぬ』『快盗ルビイ』『探偵物語』など歌謡曲の歌手に提供した楽曲への言及が多い。
(松田聖子、小泉今日子、薬師丸ひろ子は今夜のNHK紅白歌合戦で、予定を変更して、これらの曲を歌うべきであると書いている人がいた)
だが、僕にとってはもっともっと早い時期にインパクトを与えてくれた偉大なミュージシャンだった。
はっぴいえんどの時には、何とも言えない変な曲を書いて、何とも言えない変な声で歌うギタリストだった。耳で聴いても曲の構造がよく解らなくて、一生懸命楽譜を読んだりしたものだ。
それから、ソロになって、NIAGARA レーベルを立ち上げてからは、この人はアメリカのロックの歴史にここまで造詣の深い人だったのかと驚かされ、パロディをはじめとした冗談のセンスの鋭さに感服した。
で、その後である。『A LONG VACATION』が大ヒットして、この人はこんなポップな感覚を隠していたのかと驚いたのである。CM ソングにその片鱗は見えていたとはいえ、ここまでポップなテーストは、はっぴいえんどやナイアガラ初期には見えなかった。
とても僕らが追いつくことはできない、素敵なミュージシャンだった。彼の業績については、今後はやはり『A LONG VACATION』以降が語られることが多いのだろう。
しかし、僕ははっぴいえんど時代の日本のフォーク・ロック界の先端を行く大瀧詠一、そして NIAGARA MOON や TRIANGLE 時代の洒落た大瀧詠一をいつまでも胸に焼き付けているし、クレージーキャッツの再評価や、キングトーンズのプロデュースなど、彼が日本ポップス史の中で果たした大きな役割を決して忘れないだろう。
どうもありがとう。
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