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Sunday, December 01, 2013

映画『ジ、エクストリーム、スキヤキ』

【12月1日特記】 映画『ジ、エクストリーム、スキヤキ』を観てきた。

舞台のほうはまだ観たことがないのだが、映画『生きてるものはいないのか』と『横道世之介』で脚本家・前田司郎の力量に驚いて、彼が監督を務めるというこの作品は絶対観ようと決めていた。

今回もこの自然で、だらけて、でも妙に深くて、でも聞いていてイライラする、けど愛おしくも思えるダイアローグの数々は絶品である。

読み返してみると、僕は『生きてるものはいないのか』の映画評で、「コミュニケーションの皮を被ったディスコミュニケーション」と書いている。我ながら上手いことを言ったと思う。

ただ、この映画はそこまで暗くない。むしろ、ディスコミュニケーションなのに不思議にどこかでコミュニケーションになっていて、仄かな希望が感じられる作品である。

お話としてはあまり何も起こらない。冒頭で洞口(井浦新)が崖から落ちたところが映る。生きているのか死んでいるのか、このシーンがこれから展開される映画の始まりなのか、それとも最後のシーンを先に見せたのかが分からない。

分からないままシーンは変わって、洞口が大学の同級生・大川(窪塚洋介)を15年ぶりに訪ねて行く。滑れもしないスケート・ボードを持って。

大川は楓(倉科カナ)と同棲している。楓に向かって「洞口が来たら殴るかもしれない」と言っている。やって来た洞口に面と向かって「決して許していない」と言う。でも、洞口が悪びれず人懐っこく擦り寄ってくると拒否できない。

結局、いろんな馬鹿馬鹿しい経緯があって、なんだか分からないダラダラした会話があって、洞口の車でどこかに行ってスキヤキをしようということになる。流れで楓も一緒に行く。

友だちのいない洞口はこれまた大学時代に大川たちとつるんでいた京子(市川実日子)を15年ぶりに訪ねていきなり誘い、当然最初は嫌がった京子も結局行くことになる。

そこからはロード・ムービーである。

映画の中で最初に音楽が聞こえるシーンが、京子が腐れ縁でつきあっている会社の同僚・鈴木(黒田大輔)と喫茶店にいるところ。4人がけの席に、何故だか隣同士に座っている。

そこで流れているのが『いとこ同士』である。いや、待て、確かに『いとこ同士』なのだが、こんなアレンジ聴いたことないし、おまけにインストゥルメンタルである。

これはどのレコードから取ってきたのかなと訝っていると、洞口と大川が冷やかし半分で入った仏具屋の主人は(ひと目で分かるが)岡田徹ではないか。

ことほどさように、その後は Moonriders の(主に後期の)曲がふんだんに使われている。

後から知ったのだが、この映画の音楽担当が岡田徹だった(だからこの『いとこ同士』ほか何曲かの新録音・新アレンジが実現したのか)。

我々ライダーズのファンは、ライダーズの音楽を使っているというだけで、ついついなんかもう「こいつは信頼できるセンスの持ち主だ」という連帯感を持ってしまいがちである。それでグッと映画にも入って行ける。

後でパンフを読むと、前田司郎もかなりのライダーズ・ファンで、彼のたっての希望で全編ライダーズの音楽ということになったらしい。

そしてこの映画では、音楽は BGM ではなく、ノイズとして、喫茶店やカーステレオから実際流れているのである。つまり、映画の観客だけが聴いている音楽なのではなく、登場人物が実際に聴いている音楽なのであって、だからそれに絡んだ台詞も終盤に出て来る。

そのエピソードが、これまたとてもありそうな話だったりする。

映画は最初とても演劇的な匂いがした。カメラは基本的にあまりカットを割らず、役者たちの芝居をたっぷり見せてくれる。台詞を噛んでも NG にせずにそのまま芝居を続けさせて、そのまま採用している。

ところが後半になると、ワンショットを細かく切り替えたりして、カメラのテンポが変わってくる。そして、固定のカメラに4人がフレームインしてきて、バランスの良い4ショットになったりする。

どうということはないのだが、きれいなシーンだなと思った。

でも、やはりこの映画の真髄は本である。本当によく書けた会話劇だ。リアルなのである。リアルだからおかしい。僕も随分笑ったが、館内には笑いが絶えない。ある種身につまされる笑いである。

まともに働いているのは京子だけで、洞口は自分が何をしたいのかもわからないし、大川は夢みたいなことばかり考えて何もしない。どうしようもない奴らである。

でも、その感じ解るんだよね(笑)

彼らの同級生に、何かがあって死んでしまった峰村という男がいたらしく、そのことがみんなの心の傷になっているみたいで、ときどき名前が出て来るが、誰も触れるだけで深く語ろうとしない。それもありがちなことだ。

3人の同級生の中にひとりだけポンと放り込まれた楓の微妙な感じもよく描けている。

結局いろんなことを語りきらずにこの映画は終わる。そこがまた巧いところでもある。人生は語りきれるものではないのだ。

監督自身の手による原作小説では、死んだ峰村のことを含め、もう少しいろんなことが書き込んであるらしく、監督は「同じ素材で違う料理を作った」と言っている。そちらも読んでみたい気がしてきた。

クランクイン前に入念な「稽古」をしたとのことで、井浦新も窪塚洋介も市川実日子も倉科カナも、もうほんとに絶妙の間合いと表情で、とても良い芝居になっている。

ともかく、これほどリアルに中途半端でペーソスに溢れた台詞の書ける脚本家はいないと思う。全然知らない方はどれかの作品に触れてみれば良いと思う。

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