NHK-BSプレミアムドラマ『歌謡曲の王様伝説阿久悠を殺す』(その2)
【12月23日特記】 昨日(と言ってもほんの数時間前だが)書いたNHK BSプレミアムの『歌謡曲の王様伝説阿久悠を殺す』に関して、少し書き漏らしたことがある。
昨日書いたように、全般に僕はあまりこのドラマに満足できなかったのだが、ひとつだけ良い台詞だと思ったところがある。
それは、スナックのシーンで、酔客がカラオケで『勝手にシンドバッド』を歌い始めた時に、三浦貴大が扮する青年が吹越満の阿久悠に詰め寄るところである(この青年が、このドラマの中では唯一阿久悠に食って掛かる存在である)。
青年はこの曲を、阿久悠の2大傑作である『勝手にしやがれ』と『渚のシンドバッド』の両方を喰ってしまっていると言う。そして、こういう新しい感覚の書き手が阿久悠を滅ぼすのだというような意味のことを言う。
それを受けて阿久悠はこう言う:「桑田くんは才人ですよ」
この台詞を、聞いた時はとても良い台詞であり、正しい認識であると思ったのだが、後から考えるとこれはちょっと違う。
桑田佳祐を才人だと言えるのは今だからであって、サザンがデビューしたあの当時に果たして何人がそういう認識を持ったかと言うと、それは疑問であり、果たして阿久悠が作詞家としての桑田を“才人”と称しただろうかと考えると、少し怪しい気がする。
なぜ当時のことをそんなにはっきり憶えているかというと、僕がそのデビュー当時の桑田佳祐を高く評価した数少ない人間のひとりだったからだ。いや、僕が慧眼だと言いたいわけではない。人の評価というのはそういうものである。
最初は少数の人間に認められ、それが時代とともに少しずつ広がり、そして定着するのである。
あの当時、桑田佳祐を稀代のメロディ・メーカーと捉える向きもなかった。「なんかどこかで聞いたようなメロディを書く作曲家」だと言われた。
そして、彼の歌詞とパフォーマンスについてはもっと悲惨で、ひとことで言って“イロモノ”という捉え方をされるのが一般的であった。
僕は曲よりも前に詞に反応した。「今何時?」への突然の展開がすごい!と思った。わけの分からないものが嫌いな僕が、『勝手にシンドバッド』という荒唐無稽なタイトルを良いと思ったほどである。
そんなサザンオールスターズが日本レコード大賞新人賞の決選投票で渋谷哲平に敗れて選に漏れたことに僕は憤慨して、他のことも合せて音楽雑誌に投稿して掲載された。それが僕が生涯で初めて世間に読んでもらった文章となった。
しかし、いずれにしても、あの当時桑田を高く評価していた人間はまだ少なかった。阿久悠が果たしてこの時点で桑田を評価していたかどうかは微妙である。既に『いとしのエリー』発売後なので、評価していたかもしれないが。
ただ、どうせならドラマの中で阿久悠が桑田の詞を悪しざまに言うくらいのシーンにしたほうが、僕は面白かったと思うのだが、如何だろうか? ご覧になった方がいたら聞いてみたい。
(なお、ちなみに僕の書いた文章では、上述の『新譜ジャーナル』誌への投稿記事はここに、桑田の『勝手にシンドバッド』の歌詞の分析はここに、阿久悠が亡くなった時の追悼文はここにあります)
Comments