書くことの喜び
【11月18日特記】 インターネットで初めて書く愉しさを知ったという人もいるだろう。いや、読まれる喜びと言ったほうが良いかもしれない。
そこには若くしてインターネットと巡りあって、すぐに書くことに目覚める人もいれば、長年ネットの世界にはあまり近寄らずに生きてきたのが、初めて体験して、あ、こんな世界があったのかと驚く人もいるのだろう。
そういう人には僕は、ご自分のブログをお持ちなさい、と言ってあげたい。いきなり自分のブログというのは少しハードルが高いように感じるかもしれないが、案ずることはない。簡単で気軽なことである。
そんなものいきなり始めたって誰も読んでくれない、と思うかもしれない。確かに最初はそうだろう。でも、書いていれば増えてくるものだ。
僕だって2001年に自分のホームページを始めた時には、アクセス・カウンタが1日に7~8しか動かなかった(しかも、そのうちの2回は僕が家と会社からアクセスしたものだ)。でも、書いていればもう少しは増えてくる。
他人のブログにコメントを書けば、誰も読んでくれないという惧れは軽減される。少なくとも書く相手が具体的にいるのである。そして、それがブログ上で公開されたり、ブログ主から返信のコメントが付いたりすると最初はとても嬉しいものである。
それで同じ相手に毎日コメントを書いたりする。新聞の投書欄に投書するのと同じような気分で、ブログ上にそれが公開されるのを心待ちにするようになる。
しかし、それはあまり感心しない。
毎日コメントをつけようとしても、ブログ主は毎日あなたの興味や経験のある領域について書いてくれるとは限らない。全然知らない分野の訳の分からない話や、あなたが観たこともない映画について書くかもしれない。
そんな中で無理やり毎日コメントしようとすると、「私はその映画は観ていませんが、同じような映画にこういうのがあります」みたいなチグハグなコメントになってしまう。
あるいはブログ主が野鳥について書いたとする。あなたは野鳥のことは何も知らない。そうすると、下手すると「鳥といえば、私は焼き鳥が大好きで」などというトンチンカンになっていたりする。
ブログ主が読んでくれるのは、あなたの書いた文章が面白いからでも、書いていることに興味があるからでもない。それはコメントが付いたからに過ぎない。
あなたが無理に自分の興味や経験に引きつけてコメントしようとすると、それは他人の家に上がり込んで、自分の好きな話を勝手にペラペラ喋っているのと同じになってしまうのだ。
コメントというのはそういうことを書く欄ではないと僕は思うのである。しかし、ブログのトラックバックならそれもアリだと僕は思う。
だから、ご自分のブログをお持ちなさい、と僕は言ってあげたいのである。自分のブログは自分の好きなように書ける。そして、他人がつけてくれたコメントを自由に公開したり削除したりもできる。
誰も読んでくれないと思っても、意外に誰かが来てくれるものである。そして、続けていればそれは増えてくる。気に入ってずっと読んでくれている人かもしれないし、たまたま検索して見つけてくれた人かもしれない。
僕はなんであれ、そういう風にわざわざ読みに来てくれた人のために書きたいと思っている。
ネット上に書く愉しさを見出した人に対して、僕は、今度は相手を特定せずに書く喜びを覚えてほしいな、と思うのである。
そのためには是非とも、ご自分のブログをお持ちなさい。きっとあなたの世界が拡がって行くことになる、と僕は思うのである。
Comments