『天使エスメラルダ 9つの物語』ドン・デリーロ(書評)
【11月13日特記】 もちろん短編には短編の良さがあるのは認める。しかし、僕は長編を浴びるように読みたいのだ。とは言え、読みたい長編が見つからない時に好きな作家の短編集を見つけてしまうとついつい買ってしまうのである。
読んでそんなに不満が残るわけではない。ただ、短編は一瞬の斬れ味を愉しむものであり、全体として振り返ってみるとやはり軽い。読んだ後、消えてしまうまでの寿命が短いのである。
この短編集にも同じことが言える。
訳者あとがきは「本書を手に取った読者は幸せである」と、如何にも値打ちこいた書き出しで始まっている。この短編集には「デリーロの作品を読むことで得られる深い喜びが、圧縮された形で詰め込まれている」として、訳者は1つずつの作品を分析して見せる。
その分析は見事なものである。それぞれの作品をデリーロの長年のテーマや過去の長編作品のエッセンスになぞらえらたり当てはめたりして行く。
そう、短編って、こんな風にいちいち「解題」したくなるものなのである。
だが、解題できてしまうようではデリーロの魅力を味わったということにはならないのではないか、というのが僕の感じ方である。
もう分析も抽出もできないくらい、あまりに膨大で難解なものが複雑に絡み合って雪崩のように襲いかかってくるのがデリーロ作品の真骨頂なのである。
だから僕は、訳者が言うように、この300ページ足らずの短編集が800ページの『アンダーワールド』を読むことを躊躇する読者にとってのデリーロ入門書となるとは思わない。もし読むのであれば、最初に800ページの『アンダーワールド』にまず打たれて倒れることを僕はお勧めする。
さて、そういうことを前提に話を進めると、これらの小説は実は訳者が明快に解説しているほど分かりやすいものではなく、通常の短編小説より「斬れ味」が見えにくいし、ずっと複雑であり難解であり、つまりはデリーロ的であると言える。読めば読むほどイミシンなのである。
それぞれの作品について、例えばリゾート地の南の島で何故か飛行機が欠航続きで本国に帰れないとか、美術館のドイツ赤軍派のメンバーの死を描いた絵の前で失業中の女が失業中の男に出会ったとか、経済犯罪を犯して収容所に入れられているとか、それぞれの「設定」は説明できても、いざ「あらすじ」を述べてみろと言われても述べようがない。この辺りがとてもデリーロ的であるとも言える。
とりわけイミシンで受け取りようが多様な表題作『天使エスメラルダ』は、後に『アンダーワールド』に取り込まれているという解説を読んで、ああ、だからこの最後のシーンに既視感があったのかと気づいた。
『天地創造』や『槌と鎌』もデリーロの長編に直結している感じがする。
不幸にして(と僕はあえて言うw)、この短編集で初めてデリーロを読んだ人は、もっと深くて目がくらくらする世界があるのだということを、彼の長編で確認してほしいものである。
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