『ルドヴィカがいる』平山瑞穂(書評)
【10月19日特記】 ああ、なるほど、この人はこういう作品を書くのか、と思った。というのも僕が読んだ平山瑞穂は『有村ちさとによると世界は』と『プロトコル』という「有村ちさと」もの2作だけだったからある。
しかし、どうやらこれらの作品は平山の中心的な路線ではないらしく、そもそもは「ファンタジーノベル大賞」なるものを受賞して世に出てきた作家である──というようなことを、有村ちさとを読んだ後になって僕は知ったのである。
実はそれ以来この作家のことは忘れてしまっていたのだが、先日不意にリアル書店でこの書籍に出会い、宣伝文句に惹かれて買ってみた次第である。
で、これはやっぱりファンタジーとかミステリとか言われるジャンルなのだろうけれど、いやいや却々一筋縄では行かないのである。
主人公は伊豆浜という売れない中年作家。本業が売れないので、週刊誌等のインタビュー記事のライターをして糊口を凌いでいる。その伊豆浜が「鍵盤王子」の異名を取る人気のイケメン・ピアニスト荻須晶のインタービュー記事を書いたきっかけで、急に荻須が近づいてくる。
唐突に北軽井沢の荻須の別荘に招かれた伊豆浜は、ひとりで行くのも気が引けたので、若い友人である白石もえを同伴する。もえは「なんちゃってIT系」に勤務するちょっと変わった女性である。伊豆浜とも微妙な関係で、ときどきセックスもしている。
そこで出会ったのが荻須晶の姉・水(みず)で、彼女は意味不明の壊れた日本語を喋る。どう見ても脳のどこかが壊れている。その水が行方不明になり、何故か伊豆浜がその捜索を頼まれ、もえと2人で再び北軽に赴き…、というドラマである。
面白いのはこのストーリーの中に、伊豆浜が執筆中のミステリ『さなぎの宿』が断片的に挿入されているところである。この作中作が結構面白いのである。僕は『有村ちさとによると世界は』に続いて、ここで再びジョン・アーヴィングの『ガープの世界』を思い出してしまった。
あの小説の中にもやはり主人公のガープが書いた『ベンセンヘイバーの世界』という作中作が登場する。しかも、これが大ベストセラーになったという設定で、読んでみると面白いのなんの、こりゃベストセラーになるわな、と大納得するほどの面白さなのである。
よほどの自信がなければこういうのは書けないだろう。
『さなぎの宿』のほうはと言えば、もう何年もヒット作がないしょぼくれた作家が途中まで書いた作品なので、アーヴィングほどのプレッシャーはなかったろうが、しかし、これも作中作としては抜群に面白いのである。
で、その小説を書きながら伊豆浜がいろんな自説を展開するのであるが、それが恐らく平山自身のものではないかと思えるようなもので、説得力があるのである。例えば、主人公が会ったばかりの人物の名前をいきなり漢字で書くのはおかしいとか、「回収されない伏線」を恐れずに書くのだとか、そんなことである。
さらに、この小説のミソは、この作中作と伊豆浜の体験が似通ってくることである。「シンクロする」という言い方は少し違う。伊豆浜が先に小説に書いたことに、何故か伊豆浜が今体験していることが似通ってくるのである。最後には2つはほとんど渾然一体となってしまう。
そういうミステリの中を冴えない中年作家とちょっと変わった女の子のコンビが動きまわり、やがて翻弄されるのであるが、この2人以外にも出版社の伊豆浜担当の苛立たしい女性編集者とか、荻須の別荘の管理人のカサギ氏とか、もちろん荻須姉弟を含めて、人物造形がかなり達者で、この個性の多様さが物語の彩りを増やしている。
で、途中で作者が仄めかしているように、この小説は最後に伏線が全部繋がって、全ての謎が解き明かされて、という構造にはなっていない。僕はこれは正解だと思う。
下手にそんな結末を考えると、それは何か嘘臭いものになってしまう危険性が高いのである。それよりも、たとえ読者に対しては多少不親切に突き放し、放置する部分があっても、それが最後に余韻のなるのであればその小説は成功である。
もちろん、現実離れした感じもなく最後に見事に全ての辻褄が合うような話が書ければ、それはとんでもない傑作になるのだろうが、この作家は端からそういう作品を狙っていないのである。
ひょっとしたらその点が、この小説のもっとも面白いところかもしれない。
はあ、なるほと、この作家はそういう作品を書くのか、と思いながらネット上の記事を読むと、「作品ごとに作風が変わる作家」とある。はあ、なるほど、これが平山瑞穂だ、というわけでもないのか、と再び感嘆した。
Comments