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Sunday, October 20, 2013

映画『陽だまりの彼女』(その1)

【10月20日特記】 映画『陽だまりの彼女』を観てきた。

三木孝浩監督はここまでのところ青春恋愛モノばかり撮っている。だから「恋愛映画の名手」と言われることも多いのだが、しかし、そういう映画ばかりを撮っているとちょっと軽く見られる面がある。

それはとても残念なことである。

僕は劇場用映画第1作の『ソラニン』とそれに続く『僕等がいた』(前後篇)の都合3本を見て、世間の評価はそれほど高くはなかったのだけれど、いずれも突出した出来の映画だと思った。

で、今回もまた、堂々たる恋愛モノである。堂々たる恋愛モノではあるのだけれど、いままでの2作とはちょっと違う。

主人公の真緒の秘密が途中で明かされて、僕は少しげっそりした。「なんだ、ご都合主義の難病モノかよ」とがっくり来た。ヒロインをいつ倒れさせ、いつ死なせて観客の紅涙を絞るかが自由になる安易な魔法の設定である。

しかもこれはかなり荒唐無稽な病気ではないか。

しかし、もうちょっと見ていると、この話はもっともっと飛んでもないところに飛んで行くのである。これには驚いた。人によってどこで気づくかは違うだろうが、僕は映画の中盤で、「え、ひょっとしてそういうことなのか???」と気づいた。

気づいてからはもう、映画に引きこまれ、引きずり回されるままである。

ベストセラーの原作小説を読んでいる人は既に結末を知ってるわけだが、原作を読まずに映画を観る人のことを考えると、とてもこのネタバレを書くわけには行かない。

こういうのを見て「何それ!」と怒り出す人もいるんだろうな。

この手の話(ファンタジー)を毛嫌いする人は観ないほうが良いですよ、と忠告してあげたいけど、「この手の話」がどの手の話なのかを書いてしまうこと自体がネタバレに繋がるのでそれさえ書けない(だから、上のカッコ内は読みたい人だけが読んでほしい)。

ともかくよくできた話なのである。ビーチボーイズの『素敵じゃないか』(Wouldn't It Be Nice)の使い方も非常に巧い(これは原作から引き継いだ設定だそうな)。しかも、この曲が収められているのが PET SOUNDS というアルバムであるところも意味深長である。

その曲がひとしきり流れて映画がほとんど終わった後に、今度は山下達郎がこの映画のために書いた歌が流れる。こういうことをするとたいていは木に竹を接いだ印象になるのだが、ビーチボーイズと達郎となると、さすがに相性は良い(笑) しかも、歌詞に Wouldn't It Be Nice? の文言が入れ込んである。なんと粋なことか!

誰が脚本を書いたのかと思ったら、菅野友恵と向井康介。

菅野はAPから脚本家になって、谷口正晃監督の『時をかける少女』を手がけた人。向井についてはもう書くまでもないだろう。すでに山下敦弘の相棒という印象は完全になくなった。今回の2人の分担がどうなっていたか分からないが、本当に見事な脚本だった。

「切実」とか「哀切」とかいうことをとても丁寧に描いていると思う。それから『陽だまりの彼女』というタイトルが、全部見終わってみると本当に巧いと思う。

そして、陽だまり感溢れるカメラ・ワーク。その光の中を2ショットでゆっくりと流れたり、真上から切り取ったり。

さらに、アイドルを使う上ではとても大切なことだが、この映画は松本潤と上野樹里をこの上なく魅力的に切り取っている。

松本潤は『花より男子』に代表されるような、いつものカッコ良くて、ガンガン押しまくる役柄ではないが、本人もトーンを落として、少し気が弱くて優しい男を上手に演じている。

そして上野樹里だ。顔の造形だけで言えばそれほど可愛いわけではない。なのに何でこんなに可愛いのだ? そして、いつも思うのだが、この年代の女優の中では飛び抜けて巧い。

さらに特筆すべきは中学時代の2人を演じた北村匠海と葵わかなである。高校時代であれば主演の2人がそのまま演じたのだろうけれど、さすがに中学となると無理があるので別の役者を立てたのであるが、この2人が悪くない。

北村のほうは松本潤に似ても似つかないのが残念なのだが、葵のほうは上野樹里系統の顔で、本当に彼女の中学時代ではないかと見紛うほどなのだが、彼女の演技がまた瑞々しくて素晴らしいのである。

主人公がひたすらカッコいいイケメンではなくて、少し気の弱いオタクっぽい少年という設定は割合ある。で、彼が苛められている彼女を庇うという設定も定番である。

しかし、彼女が苛められている理由がめちゃくちゃ勉強ができないから──というのは、恋愛映画においてそんなのアリなのか?と驚いたのだが、この辺の設定は後々に見事に繋がってくる。ともかくよくできた話なのである。

今回は筋に触れられないのであまり具体的に書いていない割に、筋のことばかり褒めているが、それだけの映画ではない。いやはや、やはり三木孝浩という監督の力量は確かで、全体のトーン・コントロールが効いている。

泣きはしなかった。でも、じんわり胸が暖かくなる、とても良い映画であった。

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Comments

初めまして。
突然のコメント失礼いたします。
映画「陽だまりの彼女」ファンサイトの管理人をしているkanaと申します。もともとは、上野樹里さんのファンです。
こちらのレビューがとても素敵だったので、ブログにリンクを貼らせていただきたいのですが、いかがでしょうか?
「陽だまりの彼女 感想ブログ」という記事に、ブログトップと感想記事のURLをリンクさせていただきたいです。
ぶしつけなお願いで恐縮ですが、ご検討いただければ幸いです。
よろしくお願いいたします!

Posted by: kana | Tuesday, October 22, 2013 19:13

> kana さま

どうもご丁寧にありがとうございます。リンクでもTBでも、どうぞご遠慮なく、ご自由にお張りください。

お褒めにあずかり恐縮です。よろしければ、翌日書いた(その2)もお読みくださいw

Posted by: yama_eigh | Tuesday, October 22, 2013 22:54

やまえーさん、さっそく、そして快くご承諾くださりありがとうございました!
リンクさせていただきました。
「陽だまりの彼女 感想リンク集」
http://ameblo.jp/hidamari-fan/entry-11646858714.html

その2ももちろん読ませていただきました!
何だかわからない婆という表現に吹き出してしまいつつ、
ほんとうに仰る通りで、うんうんそうそうと頷きながら読みました。
この映画の良さって、まさにその余白の部分が大きいのですよね。
だからこそ、日にちが経っても心に残って、隙あらばリピートしたくなっちゃいます。笑
何度か観ましたが、その度に新しい発見や感動がある映画だなあと思います。
素敵な感想ありがとうございました♪

Posted by: kana | Wednesday, October 23, 2013 21:10

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