『快挙』白石一文(書評)
【9月10日特記】 白石一文の文章には、如何にも作家らしい凝った表現というものがどこにも出てこない。しかし、構成力のある、とても巧い作家なのである。
僕はわずかに『この胸に深々と突き刺さる矢を抜け』と『翼』を読んだのみなのであるが、やっぱりこの人はこんな風に曰く言いがたく巧いのである、と思った。そして、書くたびに、年を経るたびにまた腕を上げたなあ、という気がする。
これは良い小説である。とても良い小説である。
──読み終えて最初に思ったのはそういうことだ。
自分の書いたものを読み返してみて、僕はあまり「良い小説」という表現を使っていないことに気づいた。そう、小説に良いも悪いもあるものか。面白いか面白くないか、うまく書けているか書けていないかだ、と思っている。
でも、この作品にだけは「良い小説」という表現を使いたい。「良い」という以上に読後感にぴったり来る表現がないのである。
これは夫婦の話である。と言うと、人によって思い浮かべるイメージは異なるのだろうが、決して甘ったるいストーリーでもなければ、その対極を行くような凄まじい展開の浅ましい物語でもない。
夫婦の情愛、などと言ってしまうと一気に安っぽくなってしまうが、夫婦の情愛について書かれた物語だとしか言いようがない。それはまさに夫婦であって、夫婦でなければこういう形にはならない情愛なのである。
文章の語り手であるカメラマン志望の青年・俊彦は、月島の小料理屋の2階のベランダで洗濯物を干していたみすみを見初める。それが1992年である。
そこから物語はまるで日記のように淡々と進む。その時代に実際にあった出来事や事件を少しずつ巧みに織り込みながらストーリーは展開する。
ふたりはすぐに同棲し、やがて夫婦になる。引っ越しをする。転職をする。大きな病気もする。俊彦はやがてカメラマンの夢を捨てて物書きを目指すが、それも物にならない。夫婦の危機も訪れる。しかし、とても禍々しいことが起こるのではないかという予感が行間から溢れているのに、不思議に修羅場は訪れない。
多分僕が高校生なら、この本を読んで少し首を傾げるだけで終わったかもしれない。夫婦としての20年超の体験が自分にもあるからこそ、そして、俊彦とみすみの夫婦と不思議に似通った体験もしているからこそ、この感じが解る。
「しっとりとした愛の物語」というようなものでは決してない。外は乾いていて、内に水分を含んでいるのである。そして、この作家の特徴として、いつも隣に死が控えている。
そんな中をするりとすり抜けて生きて行くふたりの話を読み終えると、なんとも言えない喜びが湧き上がってくる。ああ、この喜びがあなたには解るだろうか?
この作家の本ではいつも、帯の宣伝文句に騙されてしまう。ここに書いてある「罪と罰を抱き」とか「不実さえも許す」というような下世話な物語ではないのである。思えば出版社の宣伝部の誰ひとりとして、この作家のピュアな表現の高みに追いつくことができていないということなのだろう。
この人はそういう作家である。そして、この小説はどれほど形容詞を並べても形容しきれない小説である。実際に読んで、このふたりの息吹を肌で感じてみてほしい。
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