映画『戦争と一人の女』
【8月20日特記】 映画『戦争と一人の女』を観てきた。監督は井上淳一という人で若松孝二の門下らしいからあまり僕の趣味ではなさそうだったのだが、原作が坂口安吾であるのと、永瀬正敏、江口のりこという好きな役者が出ているのに惹かれた。
映画を見終わって思ったのは、これはもう誰が監督というようなものではなく、完全に坂口安吾の世界である。そういう意味で荒井晴彦と中野太(この人が何なのかはよく知らないのだが)の脚本が素晴らしい。
坂口安吾については語る必要もないだろうが、僕は高校時代に彼独特の虚無と逆説に憧れて立て続けに何作か読んだ。ただ、この『戦争と一人の女』は、かなりマイナーな作品らしく、僕は読んでいない。
でも、恐らくこの脚本は原作の色をそのままスクリーンに写し出すことに成功しているのではないだろうか。機会があれば原作も読んでみたい。
──などと思っていたら、なんと、パンフレットに『戦争と一人の女』と『続戦争と一人の女』の全文が掲載されているではないか。帰りの電車の中で一気読みしてしまった。
(余談になるが、パンフでは初版出版時に GHQ の検閲によって削除された部分を復活して、そこに傍線が引いてある。これがちょっとびっくりで、主人公の男女が「戦争が好きだ」と言う台詞が悉く削られている。この物の言いようはどう見ても頽廃的、あるいはせいぜい反体制と見るべきで、これを好戦的・軍国主義的と判断した GHQ の読解力の低さにただただ驚くばかりである。閑話休題)
読んでみると、果たして、ますます脚本の巧さが際立ってくるではないか。ちなみにパンフレットには脚本も全文掲載されているので、比較してみるのも面白い。
全体の構成は大胆に組み替えられてはいるが、台詞はほとんど原作にあったものを原文のまま使い、ストーリーは映画用に膨らませて、原作よりも大きくうねらせている。
作家の野村(永瀬正敏)は、ひとりで飲み屋の女将をやっていた女(江口のりこ)を妻にすることにする。女はある男の妾であったのだが、男に棄てられ、そうなると仕入れもままならず、あっさり店を畳むことにした。
そして女は、戦争中なにかと不自由な世の中なので、戦争が終わるまで結婚しないか、と独り者の野村に持ちかけたら、半ば投げやりな気楽さから野村が快諾し、2人の夫婦生活が始まる。
女は小さい頃に親に売り飛ばされて娼婦になった。そして1日に7人、8人もの男の相手をしているうちに、いつしかセックスに一切の快感を覚えないようになってしまった。
にも拘わらず、もともと淫らなところがあり、感じないくせに女は誰とでも寝てしまう。野村は女が浮気をするのだろうなと勝手に嫉妬しながら、何度も何度も感じない女を抱く。
──そういうストーリーなのだが、原作と映画で異なるのは、原作の「女」のほうが江口のりこが演じた「女」よりもやっぱり古風な感じがするところである。
映画のほうは、(観ている我々が現代人であるせいもあるが)性に対して進歩的な考え方の現代的な女性という印象を持ってしまう。しかし、原作のほうは、他の昭和初期の女たちとあまり変わらない程度に、しっかりと男に依存している。
ただ、男に依存してはいるものの、娼婦という仕事をしていたことが幸いして、性に縛られない考え方を身につけている、という印象なのである。
ところで、この映画にはもうひとつの筋がある。
それは村上淳が演じた帰還兵・大平義男の話である。これは原作のどこにもない。が、脚本家が考えだした人物ではなく、昭和20年前後に猟奇的な連続強姦殺人犯として世間を騒がせた小平義男なる人物がモデルなのだそうである。
大平は北支の戦線で右腕を失って帰還した。戦争中は単に敵兵を殺すだけではなく、無抵抗な敵を惨殺したり、一般市民に暴行や強姦、略奪を働くなど残虐の限りを尽くして帰ってきた。そして、妻子と再会したのだが、いつの間にか性的不能に陥っていた。
ところがある日、ひょんなことから自分は強姦という行為には興奮して勃起することに気づく。そして、彼は「自分の知り合いの農家から米を分けてもらうので良かったら一緒に行かないか」と若い女を山中に誘い、首を絞めながら強姦するようになる。
物語はこの2本の筋、感じない女と勃たない男のストーリーが別々に進んで行く。どこかで交わるのだろうな、と思っていたら最後に交わる。交わって初めて2つの要素が溶け合うような感じになる。
ここら辺りもよく考えられた脚本である。
ところで、この映画、時々カメラがカクカクっと不自然なズームインをしてくるところが何ヶ所かある。これがとても気になる。
自分が高校生の時にクラスで撮った 8mm 映画がこんなカメラワークになってしまったなあと思い出したのだが、この映画のカメラマンは鍋島淳裕というベテランであり、もちろん失敗したのではなく狙ったのである。しかし、意図がよく解らなかった。時々ある小さな揺れも気になった。
あと、画として特徴的だったのは江口のりこをはじめ、大平に襲われる女たちなど、出演者が次々と晒す黒々とした陰毛である。これが強烈に印象に残る。ある種強烈であり、ある種禍々しくも思え、フツーにエロでもある。
しかし、それにしてもよくも江口のりこを主役に抜擢したものである。
自分で3日前の記事に「映画はもちろん、興行のことを考えると、無名の女優や綺麗でも可愛くもない女優を主演に据えて撮るわけには行かない」と書いたばかりなので、なおさらそう思う。
どう考えても彼女は主演女優のタイプではない。調べてみたら僕はこれまで彼女の出演作品を16本観ているが、その中で多分キャストロールで5番目以内に入ったのは1回だけだと思う。
ただ、どんなチョイ役でも非常に目立つ、独特の雰囲気のある女優で、僕は早くから注目していた。それだけに今回の抜擢は喜ばしいと思っている。現に原作の雰囲気を掴んだ上で自分の個性も主張した見事な演技であったと思う。
興行にどれくらいの影響を与えているのかは分からないが。
【8月21日追記】 上で「これまでに江口のりこの出演作品を16本観ている」と書いたが、ちゃんと調べてみたら映画館で観たものだけで23本あった。ひょっとしたら役がすごく小さかったのかもしれないが、2004~2005年の作品では、僕はほとんど彼女を認識できていなかったようだ。
また、僕が観ていない映画では主演が既に2作あった。これも全く知らなかった。
つまり今回の映画が彼女にとって3本めの主演作品であり、僕が映画館で観た24本目であるということである。
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