藤圭子さんの訃報に接して
【8月22日転載】 藤圭子さんの訃報を目にして、突然僕の心の中で鳴り響き始めたのは『新宿の女』でした。
藤圭子さんと言うととかく『圭子の夢は夜ひらく』ばかりが取り上げられ、その「十五、十六、十七と私の人生暗かった」という歌詞ばかりに光が当たりがちですが、あれは園まりさんの『夢は夜ひらく』のカバーだし、あまりに藤圭子さんのイメージに被せられデフォルメされた嫌いがあると僕は思っています。
それよりも、デビュー曲であり最初のヒット曲でもあるこの歌や、中期の名作である『京都から博多まで』のほうが、僕には藤圭子さんらしい作品に思えます。
『新宿の女』は石坂まさをさんの作詞作曲で1969年の発売です。石坂まさをさんという人は本来的には作詞家だと僕は思うのですが、こんな風に時々作曲をしていて、それが悉く素直な良い曲で、大きなヒットにもなっています。
僕が twitter で彼女の死を知った時はちょうど外出していたのですが、阪急梅田駅から会社までの帰り道、この歌を口ずさみながら歩きました。それを歌うことが彼女への追悼になるような気がして。
なんでこの歌が浮かんだのかは分かりません。『新宿の女』は別に自殺の歌ではありません。それは男に棄てられる女の歌です。
でも、彼女の死を知って、いきなり出てきたのが、
バカだな バカだな
というサビの部分でした。何度も騙されているにもかかわらず、「ネオンぐらしの蝶々」である自分には「やさしい言葉がしみたのよ」と彼女は歌います。
でも、騙される女のことを「バカだな」と言いながら、決して憎々しげにバカにしてはいません。
そう、騙された女とは自分のことです。でも、必ずしもその自分自身を咎めても貶めてもいません。嗤ってもいません。自分を憐れに思う気持ちと、そんな自分を愛おしく思う気持ちが綯い交ぜになったこの感じは、もちろん当時小学生の僕には理解できませんでした。
でも、今なら解ります。
自ら死を選ぶところまで追い詰められるには何か事情があったのでしょう。それが何なのかは彼女以外には解りません。
でも、僕はふと思ったのです。13階のベランダから宙に舞い、地面に叩きつけられるまでの間の彼女の脳裏でも、ひょっとしたらこの曲が鳴っていたのではないかと。
夜が冷たい 新宿の女
こうやって思い出し、こうやって語ることがある種の供養になるのではないかという気がして、僕は再びこの歌を口ずさんでいます。
この熱帯夜に。
※ この文章は藤圭子さんが亡くなった日の夜に facebook に書いたものです。合せてこちらにも転載しました。
Comments
遺書がないらしいので、突発的に死に魅入られたのでしょうか
一世を風靡し、また娘も大ブレイクした人の
どこに死ななければならない事情があるのか全く心情は判りかねます。
「新宿の女」でデビューした彼女、奇しくも新宿で亡くなった。
もう昭和のネオン街の歌は聞こえてこない。
僕は彼女の歌で一番好きな曲は「聞いて下さい私の人生」ですね。
浪曲調のこの歌は彼女の人生とオーバーラップして聴こえてまいります。
Posted by: バイロン | Friday, August 23, 2013 17:10