『ソラニン』浅野いにお(漫画評)
【8月17日特記】 4/17の記事で Kindle Fire で読み始めたことを書いたが、2巻の途中まで読んだところで忘れてしまって放ったらかしになっていた。電子書籍の場合は、紙の本のように身近なところで体積を以って自己主張して来ないので、こういうことが起こる。
思い出して読み終えたので、少しだけ書いておく。
この作品は映画を先に観て、知人から「原作も是非読んでほしい。2巻しかないのですぐに読めるから」と言われて読み始めたのである。
で、改めて思ったのは、あの映画が如何に原作に忠実に作ってあったか!ということである。いや、細かいところではいろいろ違いもあるだろう。だが、作品の持つムードと言うか、登場人物を取り巻くさまざまな環境の、言わば温度や濃度、湿度などを見事に再現していると思う。
ただ、1つだけ違うのは、映画では芽衣子を宮﨑あおいが演じたということ。原作を見ると、芽衣子は明らかに十人並みの器量の女の子である。もしもこの子が宮﨑あおい並に可愛ければ、彼女の世界は激変したかもしれないと思う。
映画はもちろん、興行のことを考えると、無名の女優や綺麗でも可愛くもない女優を主演に据えて撮るわけには行かない。だから仕方がないと言えば仕方がないのだが、多分真実は原作の方にあるんだろうな、と思った。
ただ、この漫画には、飛びきりのイケメンや美少女はひとりも出てこない。ああ、そうか、それがこの作家のある種の哲学みたいなものに繋がっているのだろうな、などと、自分でもよく解らない結論を直感的に得た。
それにしても、背景にここまで神経を使う漫画家はあまりいない。『情熱大陸』でやっていたが、彼はまず現実の場所で写真を撮り、それを基に背景を描くようだ。写真のようにリアルな街の風景が、若者たちの暮らしにのしかかってきているような印象が出てくる。
そして、ここまで細部にこだわった物づくりの精神こそが、この作品全体を支えているような気がする。
そして、音楽に対する愛である。読んでいて音は聞こえてこない。でも、ライブの会場の音の世界にどっぷりと浸かっている自分が感じられるのである。
良い作品であった。
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