映画『さよなら渓谷』
【6月22日特記】 映画『さよなら渓谷』を観てきた。
大森立嗣監督(わざわざ書くまでもないかもしれないが、麿赤兒の長男で、大森南朋の兄である)の作品を観るのは『ゲルマニウムの夜』『ケンタとジュンとカヨちゃんの国』『まほろ駅前多田便利軒』に続いてもう4本目である。どの映画も良かった。ハズレがない。
ただ、僕はものすごいファンというわけでもない。僕がとても信頼している「キネマ旬報ベストテン」は彼の映画に対して、常に僕の評価よりも少しだけ上の点を付ける気がする。
ちなみに上記の3本の映画はそれぞれその年の10位、15位、4位だった。
吉田修一原作の映像化を観るのは『春、バーニーズで』(WOWOW「ドラマW」)『パレード』『悪人』『横道世之介』に続いて5本目である。
どれも面白かった。しかし、僕にとっては、これだけたくさん観ているのに、原作を読む気にならない不思議な作家である。
今日の映画を見ながら、「ああ、これは『悪人』に近いパタンなのだな」と思った。人間の本質を描くために究極的な状況を作ろうとする。それが少し作り過ぎのような気もする。
冒頭は俊介(大西信満)とかなこ(真木よう子)のセックス・シーンである。割合激しい。いや、しかし、それよりも目を引くのは大西信満のものすごい脇毛である。
僕はこの大西信満という役者を、彼が主役デビューした『赤目四十八瀧心中未遂』以来何度も観ているようなのだが、まるで記憶がない(あの映画で際立っていたのはむしろ新井浩文で、彼はこの『さよなら渓谷』でも強烈な印象を残している)。
しかし、この脇毛で、今回初めてしっかりと記憶することになると思う。
まさか、脇毛でキャストしたとは思えないが、両手を上げたシーンが2回出てくるのは監督も意識してのことだと思う。僕はこれは何かを暗示しているような気がしてならないのである。それほど強烈な脇毛なのである。
そこへ隣家の主婦・里美がドアを叩く。のろのろと服を着てドアを開けるかなこ。里美は午後に宅配便が届くので受け取ってほしいと言う。ふと外を見るとカメラやマイクを持ったマス・メディアが隣家の前に大挙している。
その中には雑誌記者の渡辺(大森南朋)と同僚の小林(鈴木杏)もいる。
そして、宅配便が届く間もなく、里美は幼い長男殺しの容疑で逮捕される。今度は前よりもはるかに激しいセックスをしながら、俊介とかなこはその報道をテレビで観ている。
ところがその翌日、里美の証言によって、俊介が共犯の容疑で警察に連行されてしまう──という、初めの方は何がなんだか分からない構造のドラマである。
実はこのドラマにはストーリーに組み込まれたある謎の設定がある。パンフレットにはあまりに平然と何箇所も書いてあるので良いのかなと思うほどであるが、僕はあえてここでネタバレは書かないことにする。
ただ、僕の場合、残念なことに、ごく初めのほうで(多分これ以上早く見抜くのは不可能というタイミングで)その謎を見通してしまった。原作ではラスト近くまで引っ張っているようなのだが、幸いにして映画では割合早くに種明かしがある。
早く明かすかギリギリまで隠すかは表現上の技巧の問題だが、何にしてもその謎こそがこの作品のミソである。あまり隠すことに腐心しなかったのは却って良かったのかもしれない。
テーマのひとつはレイプである。重い設定だ。映画は重苦しい。
現在のシーンは真夏である。汗をかきながらのセックス。ジメジメとして暑苦しい感じがこちらにも伝わってくる。息が詰まりそうな夏の濃い空気。
一方、俊介とかなこの何年か前の出会いのシーンが回想で何度も入るが、この季節は秋だ。北の地方と見えて、秋とは言えかなり寒い。そして何よりも淋しい。寂寞として、荒涼とした風景。なんと淋しい構図だろう。
回想シーンはこの2人があてもなく歩くロード・ムービー仕立てである。いや、これはロード・ムービーと言うよりも「道行き」である。いや、今すぐ死ぬわけではない。しかし、間違いなく2人はある種の「死」を目指している。
そして、2人で歩いているからこそ孤独感が増幅される。
そう、この映画のさまざまなシーンでのさまざまな登場人物の間の距離を見よ。例えば渡辺がかなこに「あなたに私たちの何が分かるのか」と反駁されるシーンでの、2人の妙な距離感。
あるいは激しく交わる俊介とかなこの、これ以上距離を詰めようがないのに、渇望するように抱きしめる密着。
映画のほとんどは俊介とかなこのエピソードである。しかし、少しずつ絡む何人かの脇役が、その設定も演技も驚くほどうまく機能している。
渡辺とその妻(鶴田真由)との冷えきった関係(帰宅した渡辺が、電灯を付けずに冷蔵庫のドアを開けたとなじられる──この辺りの台詞には非常にキレがある)。俊介の大学の同級生(新井浩文)の何とも言えない悪そうな感じ。かなこの元夫(井浦新)のどうしようもなく情けない男。
そして上にもいくつか例示したが、カメラも素晴らしい。そして、終わり方も素晴らしい。僕は画面を見ながら「よし、このカットのまま終われ!」と心の中で叫んだら、本当にその通りに終わった。
今まで見た大森作品では一番良いかもしれない。今年は「キネマ旬報」より高い点をつけてみたいものである。
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