『放送禁止歌』再び
【6月16日特記】 久しぶりに山平和彦の『放送禁止歌』を聴いた。音源が手に入ったのである。
もう40年以上も前の歌であるが、歴史的に有名な作品なのでご存じの方もあるだろう。あるいは森達也による同名のルポルタージュ(著書)やドキュメンタリ(ビデオ)に触れた方もあるかもしれない。
あの頃フォークは運動体であった。フォークソングは反戦、あるいは反体制の歌だった。だからよく放送禁止になった。
いや、局の側からすれば「禁止した」と言うよりも、諸方面への影響を考慮して「自粛した」という思いだったのかもしれないが、しかし、これは歌っている歌手からすれば、まさに禁止された以外の何ものでもない。
で、そんなことを揶揄した山平和彦のこの歌も、当然のように放送禁止になった。と言っても、決してあからさまに「放送を禁止する当局はけしからん!」などと歌っているのではない。
歌詞は四字熟語の羅列である(「放送禁止」自体がそのひとつである)。で、この羅列を眺めるとはなしに眺め、聞くとはなしに聞いていると、「なんだか無茶苦茶だなあ」「随分と矛盾してるじゃないか」という気分になってくるのが不思議である。
「放送禁止」は歌詞の終盤に出てくる。最後は「奇妙奇天烈 摩訶不思議」(この2つだけが五字熟語である)で終わる。
あの頃のフォーク歌手たちの多くは、自らアンダーグラウンド・レコード・クラブ(URC)という組織を作って、そこに参加した。それは昨今のスターが自分専用のレーベルを作るといった動きとは全然違う。
URC は日本レコード協会に参加していなかったので、レコード倫理規定の適用を逃れたのである。だから、彼らは URC から自分たちのレコードを発売したのである。ここに所属している限り、少なくとも発売中止にはならなかったのである。
そんなことを思い出しながら、多分41年ぶりにこの歌を聴いた。
山平和彦は「放送禁止」を揶揄して「放送禁止歌」という歌を書き、そして、予想通りその歌も放送禁止になった。
あの頃中学生だった僕が「カッコイイ」と思っていたのは実はこういう行為であったと思いだした。放送禁止に抗議して放送禁止歌を書き、狙い通り放送禁止になる──そういう大人になりたいと僕はあの頃強烈に思ったのだった。
久しぶりに聴いてそんなこんなを思いだした。僕は今でも少しぐらいはそんな生き方ができているんだろうか?
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