うめけん、twitter やめるってよ
【5月28日特記】 今朝(と言うか、日付としてはもう昨日になってしまったけれど)、朝日新聞デジタルで「うめけん、twitter やめるってよ」という見出しを見つけて、「えっ」と思った(すいません、多分このリンクは契約者しか開けません)。
いろんな意味での「えっ」である。
twitter でソフトバンクの孫社長をはじめとする錚々たる大人たちに堂々と渡り合ったあの高校生も今では慶応の大学生なのである。
そして、まさに一世を風靡したあの少年が、こともあろうに twitter をやめる(よく読んでみると、やめたのではなく、単にほとんど書き込まなくなったのであるが)と言う。
そして、そのことのショックを、映画化もされた小説のタイトルをもじって書き表している巧さ。
そのどれに対しても「えっ」であった。
もちろん twitter をやめるのも続けるのも自由である。そんなことで人を縛るような難しい代物ではない。
ただ、僕は続けていて、彼は離れたと言う。
記事を読んでみると、「フラットじゃなくなった」と言う。「ポジショントークが増え、フラットな議論ではなく、受信者と発信者にわかれるようになった。権威がない人が発言すると『お前が言うな』みたいな」と言う。
これは確かにその通りだと思う。
初期の twitter のどうしようもないほどの面白さは、あの混沌としたフラットさだった。有名人も無名人も入り乱れて、なんの衒いもなく呟き交わした。
そして、単なるどっかのおばちゃんだと思っていた人が、突然意外なことの専門家だったりすることが分かる楽しさ、そして、そういうところから言わば現世利益が得られる楽しさだった。
確かにああいうのはなくなった。それは全く同感である。僕はまだ暫くやめたりはしないけれど…。
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