分別の理屈
【5月2日特記】 ゴミの分別方法は地域や地区によって微妙に違うので、引っ越すたびに戸惑うものである。
しかし、考えてみれば、地域・地区によって先進的なところとそうでないところがあり、かつ進展のスピードも異なるのであるが、結局のところ向かっているゴールはほぼ同じであるような気がする。
僕が今住んでいる地区は、これまではどちらかと言うとゴミ分別に関しては後進的な地区であったのではないかと思うのだが、近年その改革のスピードを上げており、今春から「その他プラスティック」の分別を始めた。
「その他」の「その」は恐らく何年か先立って分別を開始していた「PETボトル」を指すのだろう。結局のところ PET 以外のプラスティックの包装材と容器を包括することになるのだが、分別し始めてみるとこの量が半端でないことに改めて驚く。
ウチの地区では今までこれらは「燃やすゴミ」に分類されていたのであるが、旧「燃やすゴミ」の大半はプラスティックであったのだ。これは分別してみて初めて気づいた。
ところで「燃やすゴミ」は「燃やすゴミ」であって「燃えるゴミ」ではない。昔は確かに「燃えるゴミ」と称していたが、こういう曖昧な名前は定義が難しい。
もう20年以上前のことであるが、僕の友人はゴミの日の朝、収集車が来たので慌てて出したゴミの中に発泡スチロールが含まれており、収拾にあたっている職員に咎められたが、彼はその職員の目の前で発泡スチロールが如何に「燃える」かを実演したと言う。
「燃えるか燃えないか」は意見が別れてしまうが、市や区が「燃やすか燃やさないか」は市や区が法律に則って決めることであり、それは定義ではなく実績の問題であるから、判定をめぐって揉めようがない。
ところで、その他プラスティックの分別が始まる少し前に地域の説明会があり、それを聞いたのだが、その分別の方針についてはなるほどと思うことが多かった。
まず、汚れた容器はさっと洗うだけで良い。なんとならば、洗うために大量の水を費やしているようだと何のための分別=省資源なのか、意味がなくなるからである。
それから、マヨネーズ容器など内容物がこびりついて取れないものは「燃やすゴミ」で良い。「そんなもの燃やして良いのか?」と思うのだが、よくよく考えればつい先日までは燃やしていたのである。
それよりも、そういうひどい汚れがこびりついた容器が混じっていると、プラスティック再生のための手間がかかりすぎて、これまた意味がなくなってしまうのである。
それから、プラスティック容器にプラスティックの蓋がついている場合、棄てる時には蓋を取って別々に棄てる。というのは、再生に際してはどうせ蓋を開けて別々にする必要があるので、これも再生の準備作業をする労働者の手間を省くためである。
そして、「プラ」マークがついていないなど、プラスティックなのかどうかはっきりしないものは、別に悩む必要はなく「燃やすゴミ」に入れて構わない。これも同じ理屈であって、要は目的は「燃やすゴミ」の純化ではなく、プラスティックの効率的な再生なのである。
日本国内の日常生活で、こういう論理的かつ合理的な説明を聞くのは非常に久しぶりであるように思う。そして、分別が論理的かつ合理的に進むのは大変良いことだと感銘を受けたので、僕は分別にかなり前向きな態度で臨んでいる。
ひょっとしたら、こういう日本人は僕以外にはあまりいないのかもしれないが(笑)
Comments
うちの自治体では去年導入されましたが説明会はなかったんで、調べてみたら・・・
回収されたプラスチックには、業界団体から自治体に補助金が支払われます。この金額は量によるだけでなく質も問われるので、回収可能なキレイな状態にしなきゃいけないようですね。
個人・自治体・メーカーが労力と金銭を負担しあう合理的なシステムに見えますけど、ずいぶん複雑でもあるみたい(とりわけ金額の計算なんか)。http://www.jcpra.or.jp/00oshirase/news_release_137.html
Posted by: tapioka | Tuesday, May 07, 2013 11:18